シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(37)二号研究に見る戦争と科学者の宿命的な関係

その仁科芳雄を師と仰ぐ竹内柾は、「ニ号研究」では分離法研究の一員であった。竹内の証言によれば、仁科からウラン爆弾の研究をしてみろと言われ、班に組み込まれた。といっても兵器のことなど知らない、ただの原子核エネルギーの研究者だった。当時30歳の少壮の学者でもあった。私(保阪)が取材…
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