十文字貴信さん 自転車も麺も正解がないから夢中になれる

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十文字貴信さん(96年アトランタ五輪・自転車1キロタイムトライアル銅)

 その店主の筋骨隆々な姿からは、到底44歳とは思えない。1996年アトランタ五輪でプロ競輪選手として日本史上初の銅メダルを持ち帰ってから24年。十文字氏は今、地元で評判のラーメン店「白河屋」の厨房にいる。19歳で競輪デビューし、わずか1年で五輪を経験。その後20年余りを競輪最高位のS級でレースを戦い、稼いだ獲得賞金総額は5億4000万円を超える。競輪のトップ選手からラーメン屋の主に――。第二の人生選択の裏には何があったのか。

■選手時代は4軒ハシゴ

 十文字氏が初めて白河ラーメンに出合ったのは幼少の頃。祖母の家がある福島県に遊びに行くたびに「白河屋」というラーメン屋に連れていってもらった。

「それが本当においしくて。私はラーメンマニアではなく“白河ラーメンマニア”です。日本全国、競輪の開催地であらゆる種類のラーメンを食べましたが、やっぱり断トツで白河ラーメンが大好きです。水分を多く含んだ麺の独特なモチモチ感、醤油のカエシ、香りやうま味が生きたスープもたまりません。20代の頃は時間があれば競輪仲間たちと福島県まで行って、4軒くらいハシゴしていました」

 十文字氏の転機となったのは、30歳の時に腰部脊柱管狭窄症の手術での入院生活だった。競輪選手は一生続けることは出来ない。セカンドキャリアを考えたとき、古い記憶がよみがえった。

「小中学生の頃の夢は1番が競輪選手、その次が料理人でした。そんなこともあり、大好きなものを自分の手で作りたいという思いが生まれました」

 退院後は選手として再びS級で活躍する傍ら、インターネットや料理本を見てレシピの研究を始めた。そうして仲間や家族に自作した白河ラーメンを振る舞ううちに、自分の店を出すためにはと考えた結果、独学ではなくプロの技術を学ぼうと決心した。37歳のことだった。

「まず祖母と通ったお店を訪ねましたが、店主がお年を召していたことと、震災の影響で閉店していたんです。代わりに、そこで修業してのれん分けされた方がやっている『白河屋』を紹介していただき、仕込みの作業を見せてもらいながら学びました。家に帰って実践しても、これがうまくいかない。見学、試行錯誤、見学、と半年に1回くらいお店に通い、これが4年くらい続きました」

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