元川悦子
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元川悦子サッカージャーナリスト

1967年7月14日生まれ。長野県松本市出身。業界紙、夕刊紙を経て94年にフリーランス。著作に「U―22」「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年 (SJ sports)」「「いじらない」育て方~親とコーチが語る遠藤保仁」「僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」など。

指揮官トルシエには厳しさの中にも情熱と愛があった だから代表は空中分解しなかった

公開日: 更新日:

フィリップ・トルシエ(元日本代表監督/67歳)

 2002年に日本と韓国でアジア初のW杯が共同開催された(5月31日~6月30日)。フランス人監督トルシエに率いられた日本代表は、史上初のグループリーグ突破。決勝トーナメント一回戦でトルコに惜敗したとはいえ、母国開催W杯で大いに面目を施した。あれから20年。日本を熱狂の渦に巻き込んだ日本代表で采配をふるった指揮官の素顔とはーー。

 ◇  ◇  ◇

「45~50人の日本人が欧州で活躍して、その成果を持ち帰れば日本サッカーの役に立つ。アフリカは欧州で活躍する選手が増えて、代表のレベルも急激に上がった。日本もそうならないといけないんだ」

 20年前、口癖のようにこう言い続けていた元日本代表監督のフィリップ・トルシエ。

 彼の予言通り、今では50人を超える日本人選手が欧州挑戦に打って出て、海外組だけで代表が組める時代になった。

 JFA(日本サッカー協会)もドイツ・フランクフルトに拠点を置き、ハーフ選手などの発掘などに余念がない。

 こうした国際化のきっかけを作ったのが「白い呪術師」の功績だ。

 2021年5月末にU-19ベトナム代表監督を辞し、現在は母国フランスでワイナリーを手掛けるトルシエとの思い出を今一度振り返ってみよう。

トルシエ流に選手の誰もが面食らった

 トルシエが来日したのは1998年8月。直後に視察したのは浦和ー磐田戦だったが、嵐の中で大渋滞にも巻き込まれ、駒場スタジアム到着は後半25分過ぎ。最初から波乱含みの幕開けだったのだ。

 2カ月後の10月の福島・Jヴィレッジでの初の代表合宿では、午前7時半からの早朝練習を課して「キャプテンが席を立つまでは全員が座っていないといけない」「遅刻は1分につき相当額の罰金」などと厳しい規律を植え付けていった。

 トルシエ流には選手の誰もが面食らい、戸惑いを感じていた。あまりの激しさに「植民地主義者」などというレッテルを貼る人もいたが、心根は優しく人情味のあふれる人物だった。

 象徴的な出来事と言えるのが、小野伸二(札幌)や遠藤保仁(磐田)ら当時U-20日本代表をブルキナファソの孤児院へ連れて行ったこと。

「貧しい子供たちと触れ合うことで、生きるためにサッカーしかない人間の存在を知らしめ、刺激を与えたかった。見た目が汚い子供たちを抱っこして生まれる愛がある」と彼はしみじみ語ったことがある。

 当時の面々は、全員が貴重な体験に感謝していた。

 2002年の日韓W杯・決勝トーナメント一回戦でトルコに敗れた翌日、「トルシエとまた仕事がしたいか?」と記者に尋ねられた小野が「もういいです(笑い)」と冗談交じりに話したのも、距離間の近さの表れ。後に「トルシエさんは日本人にすごく合っていた」と神妙な面持ちで話したほどだ。

 筆者もトルシエの人間味のある一面に何度も触れた1人である。

沖縄ではソーキそばを一緒に食べた

 2000年アジア杯優勝の後、「お前は前々から『ワタシとじっくり話がしたい』と言っていたから機会を作ってやる」と突如として言い出し、インタビューに応じてくれたことがあった。

 こちらは取材会場や通訳の手配でてんてこ舞いだったが、東京・銀座の一等地のビルにやってきた彼は「なんでこんな良い場所なんだ。もっと普通のところで良かった」とキレられてしまった。

 それでも話は弾み、好印象を持ってくれたようで2008年に再会した沖縄でも「ワタシの若い頃を知っている人間が来てくれた」と笑顔を浮かべて歓迎してくれた。

「私はムスリムに改宗したから(食事的禁忌の)豚肉は食べないんだ」などと言いながら、那覇市内の市場の食堂で名物のソーキそばを一緒に食べたのも懐かしい思い出だ。

 その2年後には単行本を一緒に作る機会に恵まれたが、取材や打ち合わせの際に代表監督時代のようなエキセントリックな面は一切見せることなく、しっかりと誠実に対応してくれた。

 ただ単に罵声を浴びせたり、スパイクを投げつけたり、罰走させたりと、それだけでは選手はついてこない。

 厳しさの中に情熱や愛があることを関わった全ての人間が分かっていたからこそ、トルシエジャパンは空中分解しないで済んだ。

フランス人のヤンチャ息子を放っておけなかった

 何度か解任論が浮上しながら、最後までかばい続けた故・岡野俊一郎JFA会長も、父親のように慕ってくるフランス人のヤンチャ息子を放っておけなかったのだろう。

 その成果が、2002年日韓W杯における史上初のベスト16という結果だ。

 もちろん隣国・韓国がベスト4まで勝ち進んだのだから、トルコに勝ってそれ以上のところまで進んでほしかったし、トルシエも選手たちも、不完全燃焼感を拭いきれなかったはずだが、20年前のトルシエたちの戦いが、その後の日本代表の目指すべき基準点になったのは確かだ。

 日本は2010年南アフリカ、2018年ロシアで16強の壁を超えられそうになったが、あと一歩のところで跳ね返されたまま。

 トルシエの予言通り、海外組は増えたものの、UEFAチャンピオンズリーグなど最高峰レベルの経験値は、まだ足りないと言わざるを得ない。

「『日本代表監督は昔、海外でプレーしていた選手だよ』ということになれば、新しいコンセプトをプラスすることができる。今の日本サッカーは80%くらいは分かっているけど、残り20%のところで外国の経験が必要だからね」

4日に来日して6日のブラジル戦を視察する

 トルシエはこうも語っていたものだが、海外で活躍した選手が代表の指揮を執るような時代になるには、もう10年くらいはかかりそうだ。

 現在、長谷部誠(フランクフルト)がドイツサッカー連盟の指導者ライセンス取得を進めており、吉田麻也(サンプドリア)や岡崎慎司(カルタヘナ)らも近い将来、欧州で同様の道を歩むだろう。

 そのスピードを上げていくことが、世界トップに追い付く方策となる。とはいえ、2022年カタールW杯本大会は半年後にやってくる。

 森保一監督はご存じの通り、「ドーハの悲劇」の経験者ではあるが、海外でのプレー、指導経験はない。そこをどう埋めるか、それが肝心だ。

「トルシエさんの時(日韓W杯)は組織力、個々の役割を全うするという力、岡田(武史=JFA副会長)さんの時(2010年南アW杯)はサイドをしっかりケアする守備力、そして西野(朗)さんの時(2018年ロシアW杯)は攻撃的にボールを握り、自分から仕掛けていく力が発揮された。その良い部分を受け継ぎながら(ベスト)16の壁を破りたい」と話す森保監督の手腕を、4日に来日して6日のブラジル戦を視察するフランス人指揮官も楽しみにしているはず。

 日本の目覚ましい進化に期待しながら、これからも日本代表の一挙手一投足を注視していきたい。

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