米国留学中に大事件!俺と荒川哲男のロッカーは鍵が壊され中身を丸ごと盗まれた
プロ入り直後の1987年3月。18歳でいきなり米国へ飛ばされた俺は、右も左も分からないまま異国の地で毎日もがいていた。
言葉に関しては、グラウンド内ではドジャース球団会長補佐のアイク生原さんが通訳をしてくれたおかげでさほど苦労しなかったが、グラウンドを離れればジェスチャーで意思を伝えるのが精いっぱい。それでも、実家に仕送りをするため、普段の食費を切り詰めるドミニカ共和国出身の同僚選手が心配になり、俺の滞在先に招いて連日バーベキューをした。その際、プライベートの話題を振られたものの、まったく言葉の意味が理解できなかった。
球団が借りた俺の滞在先は立派な一軒家のコテージだった。しかも、共同生活ではなくそこに1人暮らし。一緒に行った(埼玉・大宮東からドラフト4位で入団した同期の)荒川哲男や高橋三千丈さん(当時一軍投手コーチ)は100メートルほど離れた別のコンドミニアムに滞在していた。立派なキッチンもついていたが、自炊は一度もせず。毎日、外食だった。
米国での一日はまず試合から始まる。午前中から実戦形式に入るスタイルで、日本のようにダラダラと練習しない。バッティング練習なんて5球ずつを2回打ったらおしまい。シートノックもなしだ。