時効だから言うが…巨人は俺への「必ず1、2位で指名する」の“確約”を反故にした
星野仙一さんとの出会いは高校3年の春だった。中日で1度目の監督になる前年、1986年のことだ。
NHKのスポーツ番組でキャスターをしていた星野さんが突然、春日井市にある愛工大名電のグラウンドにやってきた。直接話してはいないから、「会った」というより「見た」というほうが正しい。初めて生で見た感想は、「顔デカっ! 耳デカっ!」。夏の県大会前で、中日の監督になることは知らなかった。親交の深かった元NHKアナウンサーでスポーツライターだった越智正典さんから「名電にすごい選手がいる」と言われ、「じゃあ見に行こう」となって立ち寄ったらしい。
チームメートたちと「おい、星野仙一だよ……」とひそひそ話をしながら、中村豪監督と話している星野さんを遠目に眺めただけだった。
3年の夏は甲子園には行けなかったが、高校通算56本塁打を打った。スポーツ紙に「強肩強打の大型捕手」と書かれ、西武以外の11球団のスカウトが学校に来た。
40年近くも前の話で時効だろうから言うけど、一番うれしかったのは、巨人のスカウトから直接、「山﨑くんを指名するから待っててね」と言われたことだ。子供のころからの巨人ファン。長崎出身の父は大の巨人ファンで、幼少期から“洗脳”されていた。周りはドラゴンズファンが多かったけれど、長嶋茂雄さんや王貞治さん、俺の世代だと中畑清さん、原辰徳さんといったスター選手に憧れていた。