嫌というほど味わった練習地獄と主力との待遇格差…俺の初キャンプは毎日がサバイバルだった
プロ1年目の1987年、沖縄・石川の一軍キャンプに同行した。就任したばかりの星野仙一監督が抜擢してくれた。落合博満さんの部屋子になり、約1カ月を過ごしたのだが、練習の内容はというと……まったくといっていいほど覚えていない。
ただ、主力と若手の格差に関しては、嫌というほど味わった。今の時代、新人だろうが一軍メンバーに入ればベテランや主力と同じローテーションに入れるし、メイン球場で打撃練習もできる。でも、当時は違った。高卒ルーキーで一軍キャンプに同行できたことは良かったけれど、メイン球場で打たせてもらえたことはほとんどなかった。若手がメイン球場に立ち入れるのはせいぜい午後の守備練習か、シートバッティングで入れるかどうか。打撃練習はもっぱら室内で、メインで打てたのは早出特打のときくらいだった。
レギュラー陣は別格で、主役である彼らがメインに登場したら、脇役の控え選手は下がらないといけない。それが当たり前のことだったから、何の疑問も湧かなかった。
若手にとって早出は日課だった。全体練習が午前10時開始なら、遅くとも8時には早出が始まる。居残りも含めて、午後5時近くまで練習をやるから、もうヘトヘトだ。