俺の背番号「22」の誕生秘話…星野監督が「田淵幸一のようになってほしい」と
プロに行くと決めてから、俺には絶対に行きたくない球団が3つあった。1つは南海。お金をあまりつかわないイメージがあって、活躍しても「1億円プレーヤー」の夢はかなわないと思った。
もう1つは広島。昔から12球団で一番練習がキツくて厳しいと聞いていて、練習嫌いの俺には合わないと思った。そして最後が中日。地元の愛知県ではやりたくなかった。
「指名されても行きませんから」
実はドラフト前、中日の担当スカウトだった水谷(啓昭)さんに「NO」の意思を伝えていた。水谷さんは「こっちはもう勝手に指名しますから」と言っていたが、それが現実になるとは……。
しかも、中日の1位は地元で最大のライバルだった享栄のエース左腕、近藤真一。「近藤の下かあ。なおさら行きたくねえな」と思った。プロの世界でも、あくまでライバルとして戦いたかった。
中村豪監督には「社会人に進もうかと思っています」と相談した。父親からも「そんなに嫌なら無理に行かなくても」と言われたけど、監督に「のちのちプロを目指すなら、今行っておくのも選択肢のひとつ」と説得され、結局、中日のユニホームを着て、星野仙一監督のもとでプレーすることになった。