ドラフト外入団の憂き目に半ば不貞腐れていたボクを最初に見出してくれたのは山本浩二さんだった
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回はあの山本浩二氏について語られた、長嶋清幸氏による「ツッパリ野球人生」(第7回=2008年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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「おまえはあっちの鳥カゴ(打撃マシンが設置されているケージ)で打ってろ」
打撃コーチの佐野(嘉幸)さんがそっけなく言います。
入団1年目(80年)の日南キャンプは、一、二軍合同。二軍は朝8時にグラウンドへ集合し、一軍より先に打撃練習を行います。高卒新人でも同期の永田(利則=広島商)や山中(潔=PL学園)といった「ドラフト指名組」は、メーンの打席で打撃投手の球を打っていました。ボクはといえば、誰も見てくれないケージの中でマシン相手に黙々と汗を流す毎日。