吉井理人は自ら録画予約し「いってきますわ」…勇んで球場入りも、中継開始前にKOされていた
最多賞左腕・阿波野秀幸氏による「細腕奮闘記」(第7回=22年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回はロッテ吉井理人氏について語られた最多勝左腕・阿波野秀幸氏による「細腕奮闘記」(第7回=2022年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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2連勝がリーグ優勝の絶対条件だった1988年10月19日のダブルヘッダー。
第1試合は同点で迎えた九回2死から、梨田昌孝さんのタイムリーで九死に一生を得た。ブルペンにいた私が思わず「やったー!」と叫んだその直後だった。ベンチからコーチが来て「ちょっと急いでやってくれ。準備してくれ」と言われた。
五回あたりでブルペンに来たものの、何しろ2日前に128球を投げたばかり。ダブルヘッダー2試合のうち、どちらかでリリーフ登板があるかもしれないと覚悟はしていた。だからこそブルペンにいたとはいえ、八回からはその年、10勝2敗24セーブで守護神の吉井理人が投げていた。私は梨田さんの勝ち越し打をファンと一緒になって喜んだくらい。あとは吉井が九回を抑えてくれるだろうと思った直後にベンチから声が掛かった。ブルペンにいながら半分は傍観者だったタイミングでの指令だけに、何より気持ちの切り替えが難しかった。
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