広島1位・平川蓮 甲子園常連高の名将の父が明かす「ドラ1」の育て方
「助言や指導はほとんどしたことがありません」
平川は北海ではなく、公立の札幌国際情報に入学した。父に教わるのではなく、対戦することを選んだ。高校では主に投手。今は両打ちだが、2年までは右打ちだった。投げ込みが原因で右肘を痛め、苦肉の策で左打ちに転向したことがきっかけだった。仙台大で森本吉謙監督の勧めもあり、両打ちに転向した。
このとき、敦さんは息子にアドバイスすることはなかったという。
「助言や指導はほとんどしたことがありません。違う高校を選んだ時点で、指導者と選手の関係は終わっているわけですから。家で何か教えるということはありませんでした。自宅に練習場? ないですね。うちは『巨人の星』ではないので。キャッチボールも、僕とはほとんどしなかった。兄貴(悠さん)はうちの高校のグラウンドに来てキャッチボールをすることはありましたけど。高校に入ると兄弟で力の差が出てきて、対等にやれていたのは中学くらいまででした」(敦さん)
兄は小学校卒業後、野球から吹奏楽の道へ。中高ではパーカッションをメインに担当していたという。北海道教育大岩見沢校に進むと、準硬式野球部に入部。現在は札幌市内で会社員をしている。悠さんの音楽への興味は母親の陽子さん(51)譲り。幼少期からピアノを習っていたという。
教育者でもある敦さんは我が子も含め、育てることの難しさを痛感している。
「人が人を育てるのは本当に難しいと思う。自分の子供を育てるのも難しいのに、人さまの子供を育てるのはもっと難しい。(コロナ禍からの)5年間で価値観、考え方、社会が変わりすぎたと思います」とは、敦さんだ。
▽平川蓮(ひらかわ・れん) 2004年3月31日生まれ、札幌市出身。小学4年で「円山リトルジャイアンツ」で軟式野球を始める。宮の森中では軟式野球部。札幌国際情報高3年夏に南北海道大会でベスト4。仙台大から野手に専念し、2年秋から両打ちに。今夏、大学日本代表に初選出。4本塁打を放ち優勝に貢献。右投げ両打ち。187センチ、93キロ。
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