建設費不明の“5万人球場”はたった5年で解体…スワローズが本拠地にした武蔵野グリーンパーク
5万人超の観客を収容できる球場をたった5年で解体──こんなウソのような出来事が野球裏面史の奥の奥にある。
その球場は東京の三鷹にあった「武蔵野グリーンパーク」。両翼91.5メートル、中堅128メートル、ホームベースからバックネットまで20.1メートルだから、かなり大きい。収容人員5万1000人と立派なもので、現在のフランチャイズ球場をしのぐ。
太平洋戦争が終わり、野球が復活。ゼロ戦工場を持っていた中島飛行機の跡地に建設することになった。
プロ野球がセ・パ2リーグになった頃のことで、GHQが日本再生政策のひとつとしていた「野球の利用」が背景にあったと思われる。
トップに立って建設を指揮したのは松前重義。官僚出身で東海大学を創設した人物である。役員に作家の武者小路実篤、弁士の徳川夢声、作曲家の近衛秀麿らが名を連ねた。
球場が完成したのは1951(昭和26)年。米軍が管理していた頃のグリーンパークをそのまま命名(通称・三鷹球場)し、新興球団のひとつだった国鉄スワローズが本拠地球場として使用することになった。


















