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菅谷齊東京プロ野球記者OBクラブ会長

1943年、東京都生まれ。共同通信社でV9時代の巨人をはじめ、阪神などを担当。1970年代からメジャーリーグも取材した。野球殿堂選考代表幹事を務めたほか、三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。現在は東京プロ野球記者OBクラブ会長。

建設費不明の“5万人球場”はたった5年で解体…スワローズが本拠地にした武蔵野グリーンパーク

公開日: 更新日:

 親会社が国有鉄道だけに、中央線の三鷹駅から支線を延ばし、新しい武蔵野競技場前駅まで6分ほど。試合のある日は東京駅から直通電車を出したそうである。行き先表示板に野球のボールをデザイン、と盛り上がっていた。

 球団創設の際、選手の多くは前年まで各地の国鉄管理局でプレーした職員だった。社会人野球からプロへの移行だったことから、国鉄は「国鉄職員の身分保障」「選手に全線パス支給」とし、収入計画のなかに「運賃」を明記した。

 こけら落としは51年の5月5日。3チームによるダブルヘッダーで、第1試合で国鉄は名古屋ドラゴンズに6-3で勝った。完投勝ちしたのが2年目の金田正一。のちに400勝投手となる若きエースの快投である。第2試合は名古屋が巨人に1-0だった。

 強い風が吹くわ、砂ぼこりが立つわで、プレーする選手は大変だった、と伝えられている。その後、交通の便の悪さに、翌年に神宮球場などのGHQ接収が解けたことが重なり、“用なし球場”となった。

 武蔵野グリーンパーク1年目にプロ野球が使用したのは16試合。本拠地球場のはずの国鉄は7試合しか消化しなかった。東京六大学が19試合を行ったという。最大収入源のプロ野球にそっぽを向かれてあっという間に財政難に陥り、あえなく56年に解体。国鉄は52年から後楽園球場を本拠とした。

 正確な建設費用は不明である。突如、姿を見せて消えた。わずか5年、まさに幻の武蔵野グリーンパークだった。

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