野村監督の「選手とは一線を引け」はウソ 俺はプライベートで2度韓国に行っている
「選手とは一線を引け」
野村克也監督は自分の著書にそんなことを書いていた。その本を読んで俺は思った。
「これ、ウソだな」
なぜかというと、俺は野村監督と現役時代に2回、プライベートで韓国旅行に行ったことがあるからだ。ちなみに、どちらも事前にちゃんと奥さんのサッチー(沙知代夫人)に許可を取っている。
1回目は2008年、野村監督が就任3年目のオフ。プライベートジェット2機を使い、総勢10人ほどで行った。
2回目はその翌年、監督退任後の09年オフ。前回より大きめのプライベートジェット1機で行った。このときは(息子の)克則も来たが、プライベートジェットには乗れず、団野村さんと2人で民間機に乗って現地で合流。現地に着くと、監督はひたすら焼き肉や中華料理を食べまくっていた。
シーズンに入れば食事に行くことはなかったが、オープン戦のときは名古屋遠征があると、監督は決まってこう声をかけてきた。
「おい、今夜は何を食わしてくれるんだ?」
「フグがよろしいですか? それとも中華にしますか?」
「おお、フグが食いたいなあ」
「かしこまりました」
そんなやりとりも少なくなかった。
俺が現役を引退した翌年の14年10月、解離性大動脈瘤で約1カ月間入院していたときはお見舞いに行った。監督を辞めた翌年の10年にも同じ病気で緊急入院していたが、再発したという。
寝たきりになってしまったのかと心配していたが、病床で野村さんは「トイレに行ってくる」と言って、勢い良くピョーンと立ち上がった。思った以上に元気で安心した。
「克則の嫁が心配して入院させるんや」
笑いながらそう言っていた野村さんは1カ月後に退院。以降は俺が講演会やテレビの仕事で忙しくしていたこともあって、なかなか会えずにいた。
そんなとき、携帯電話を見ると、野村さんからの着信履歴。すぐに折り返し、「監督、ご無沙汰してます。電話取れずにすいません。何かありましたか」とたずねると、野村さんはこう言う。
「おお、元気にしとるかなと思って電話しただけや」
心遣いがうれしくて、涙が止まらなかった。
17年12月に沙知代夫人が亡くなった。元気がないだろうなと思い、年が明けた18年に連絡した。
「監督、元気ですか? メシでも連れて行ってくださいよ」
野村さんが行きつけにしているホテルニューオータニの中華料理店で食事をした。口を開けば「俺は終わった……」と繰り返していたけど、
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