俺の引退会見が7月後半という中途半端な時期になったワケ 最後の最後で野村のオヤジにかまされた
引き際の線引きを二軍落ちに決めていた俺に、ついにその時が訪れた。
7月26日の巨人戦(ナゴヤドーム)、五回1死一、二塁のチャンスで代打に出してもらったが、空振り三振に終わり、試合は逆転負け。試合後、ロッカールームに来た渡辺(博幸)コーチから「登録抹消です」と告げられた。
ずっと調子が上がっていなかったとはいえ、その時は驚いて、気持ちに整理がつかなかった。「(高木守道)監督と話をさせてくれ」と言って監督室へ。すると、高木監督はこう説明した。
「今は野手15人の中におまえを入れるのが大変な状況なんだ。それで今回、おまえが二軍に行くことになった」
受け入れるしかなかった。CS(クライマックスシリーズ)をかけた争いをしている中(自力優勝は7月7日に消滅)、この年齢で一軍から離れるということがどういうことを意味するか。それもよく分かっていた。
4月に「次に二軍へ落ちたら」と決めた通り、引退を決意。高木監督にユニホームを脱ぐことを伝えた。
「今シーズン限りで引退させてもらいます。でも、シーズンは最後まで全うさせてもらいますので、よろしくお願いします」
高木監督は、第1次政権(1992~95年)も含めて6年間、お世話になった指揮官。「長い間ご苦労さんだったな」。そんなねぎらいの言葉を期待していたら、
「あ、そう」
とぽつり。本当にそのひと言だけだった。なにせ巨人に逆転負けした直後。頭がチンチンに“沸騰”していたのだろう。言われた時は一瞬「はあ!?」と思ったが、すぐに「まあ、高木監督らしいわ。仕方ねえな」と、妙に納得した。
その後、坂井克彦球団社長、球団代表の井手峻さん、編成担当の西脇紀人さんにそれぞれ報告。そして、恩師である野村克也さんにも電話をかけた。
「今シーズンで引退することに決めました。シーズンは最後まで頑張ってやりますので。今はまだシーズン中盤なので、後半になったら正式に発表します」
「そうか、とうとうこの日が来たか。ご苦労さんだったな」
そんな会話をして電話を切った。その翌日、自宅の前に記者が数人集まっていた。
俺、何かしたっけ?
そんな不安に駆られながら、玄関前で対応すると、記者のひとりにこう聞かれた。
「山﨑さん、引退するって本当ですか」
え……何でもう知っているんだろう。親しいほんの数人にしか報告していないのに……。
「いやいや、まだまだ頑張るよ」
適当な返事をしながら、なんとかごまかそうと言葉を探していると、その記者にこう言われた。
「野村さんが
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