「野生動物の法獣医学」浅川満彦氏

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「路上に1体のカラスの死体が落ちているとしましょう。誰の所有物でもない、こうした野生動物の死体は、通常は生ごみとして処理され、死因の追求までは行われません。でも、大量の死体が見つかったときには人々は不安に陥り原因を巡って騒然となりますよね。いま世界的な問題となっている新型コロナウイルスの場合も自然宿主が野生コウモリ類であり、そのほかの多くの新興・再興感染症も野生動物由来であることを考えると、野生動物の死因追求をやめてしまっては今後第2、第3のパンデミックを招きかねません」

 本書は、当初寄生虫の研究からさまざまな動物の剖検(解剖して死体を検査すること)を長年行ってきた著者が、「野生動物にも法医学のような分野が必要だ」として、野生動物の死を記録したものだ。

「人の死因を調べる法医学に相当する法獣医学の分野は、日本ではまだ確立しているとはいえません。欧米では30年ほど前からスタートしていますが、日本は動物愛護法の施行に伴って、犬や猫などのペットに虐待の痕跡がないかを調べる裁判資料のための法獣医学は盛んになってきました。でも野生動物の死そのものの原因追求は放置されているのが実情です」

 死後、長期間たって腐敗した死体は、病理学では扱うことが難しいため、著者が所属する酪農学園大学野生動物医学センターには、ひっきりなしに野生動物の死体が運ばれてくるそうだ。

 多くの動物の死に直面するなかで、著者は人間の社会活動を原因とする野生動物の死の多さに目を向ける。農薬、鉛、はえ縄漁業で使う網、浄水場貯水池にある汚泥、医薬品、雪を溶かす融雪剤など、人間が何げなく使っているものによって多くの野生動物の命が犠牲になっている事例が本書では数多く紹介されている。

■人と動物と環境──その三者が健康であってこその未来

 たとえば畜産業を支えている牧草ひとつとっても、牧草が刈り取られる際に蛇や鳥のヒナなどが一緒に巻き込まれて牧草のロールの中から死骸が見つかる。漁業で使う網には大量の水鳥がからまって死んでいく。

「野生動物と身近に接する場といえば餌付けの問題もあります。たとえば庭に餌台を作って野鳥に餌をやる行為に法的な規制はありませんが、野鳥にとっては必ずしもプラスにはなりません。人に依存させることで生きる力を奪ったり、人間の食品に含まれている調味料や添加物で健康を害したり、餌付けで野生動物が集中することで糞害が起きたり、感染症のリスクを高めるなどの弊害もあります。本来、南に渡るべき時期に餌に頼りすぎた結果、渡り損なって凍死することも起こりえます。そんなマイナス面を知ってどうするべきか、ぜひ考えてほしいですね」

 本書では人と動物と環境(生態系)のすべてはつながっており、三者が健康であってこそ未来があるという「ワンワールド・ワンヘルス」の概念も紹介しており、人間の健康を考えるためには人の体の中だけを見ていても十分ではないことがわかってくる。

「人の健康問題は、厚労省が管轄していますよね。また食糧や感染症の問題を含めた家畜の健康を管轄しているのが農林水産省です。さらに野生動物を含めた自然生態系全体の健康を管轄するのは環境省です。みんな縦割りになっているわけです。医師は感染症が発生すれば人の体を治すことに注力し、獣医は動物の健康だけを見ていますが、どちらもその壁を越えられない。医師や獣医は消防車みたいなもので、火事が起きれば火を消しに行くけれども、火事そのものが起きるのは防げません。今後ワンヘルスの視点を考えたときに重要分野となるのが野生動物の法獣医学だと思います」

 なお著者の娘で漫画家の浅山わかび氏が、今年1月から法獣医学をテーマにした漫画「ラストカルテ」を少年サンデーで連載中だ。

(地人書館 1980円)

▽あさかわ・みつひこ 1959年生まれ。酪農学園大学教授。同大学野生動物医学センター(WAMC)施設長。市民団体「野生動物の死と向き合うF・VETSの会」代表。著書に「野生動物医学への挑戦 寄生虫・感染症・ワンヘルス」「書き込んで理解する動物の寄生虫病学実習ノート」などがある。

【連載】著者インタビュー

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