著者のコラム一覧
井筒和幸映画監督

1952年12月13日、奈良県出身。県立奈良高校在学中から映画製作を始める。75年にピンク映画で監督デビューを果たし、「岸和田少年愚連隊」(96年)と「パッチギ!」(04年)では「ブルーリボン最優秀作品賞」を受賞。歯に衣着せぬ物言いがバラエティ番組でも人気を博し、現在は週刊誌やラジオでご意見番としても活躍中。

玉城デニー知事が招待しなくとも菅首相は沖縄に慰霊に行くべきだ

公開日: 更新日:

 先日、6月23日は、昭和20年、日本軍が米軍によってほぼ壊滅し、沖縄戦が終わった日で、県が戦没者たちを哀悼して忘れないようにするために独自に定めた「慰霊の日」だった。なのに、コロナ感染を理由にしてスガ首相は(もしも行く気だったなら、五輪並みの安心安全対策とやらをして飛行機でひとっ飛びできただろうに)、ビデオ画面だけで県民たちに何の心もなさそうな挨拶で終わらせていた。ほんとに薄情で酷い政府だ。呆れかえるばかりだ。

 6月23日は沖縄戦を指揮した第32軍司令官の牛島中将や参謀長らが自決したので、司令部が壊滅し、それで日本軍の戦いが終わったとされてる。とはいえ、司令部がなくなろうとそんなことを知るわけがない島民たちや日本兵らはまだ抗戦を続けるか逃げるか、自決をしようとしていたのだ。島の14歳から17歳以下の少年たちが駆り出されて編成された「鉄血勤皇隊」まで「日本軍の組織的戦闘の後は遊撃戦に出ろ」と命じられていたのだ。つまり、ゲリラとなって死に果てるまで戦えということだ。恐ろしいことだが事実だ。揚げ句、日本軍が配った手榴弾による島民の集団自決もスパイ容疑による虐殺まで起こっていた。県民のすべてが盾とされ、米軍が九州・鹿児島に攻めこんでくる本土決戦までの時間稼ぎで、捨て石になるのが“沖縄”の役目だった。

■関連キーワード

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    高画質は必要ない? 民放各社が撤退検討と報じられた「BS4K」はなぜ失敗したのですか?

  2. 2

    気温50度の灼熱キャンプなのに「寒い」…中村武志さんは「死ぬかもしれん」と言った 

  3. 3

    広陵暴力問題の闇…名門大学の推薦取り消し相次ぎ、中井監督の母校・大商大が「落ち穂拾い」

  4. 4

    巨人阿部監督はたった1年で崖っぷち…阪神と藤川監督にクビを飛ばされる3人の監督

  5. 5

    (4)指揮官が密かに温める虎戦士「クビ切りリスト」…井上広大ら中堅どころ3人、ベテラン2人が対象か

  1. 6

    U18日本代表がパナマ撃破で決勝進出!やっぱり横浜高はスゴかった

  2. 7

    日本ハム・レイエスはどれだけ打っても「メジャー復帰絶望」のワケ

  3. 8

    志村けんさん急逝から5年で豪邸やロールス・ロイスを次々処分も…フジテレビ問題でも際立つ偉大さ

  4. 9

    佐々木朗希いったい何様? ロッテ球団スタッフ3人引き抜きメジャー帯同の波紋

  5. 10

    (2)事実上の「全権監督」として年上コーチを捻じ伏せた…セVでも今オフコーチ陣の首筋は寒い