坂東玉三郎「火の鳥」は、演出と俳優の力で見応えあるものに
                        
 第3部は野田秀樹が脚本・演出の『野田版 研辰の討たれ』。2001年に18代目中村勘三郎(当時は勘九郎)主演で初演されたもので、最後の上演が2005年だったので20年ぶり。
 初演時の配役は、研辰が勘九郎、九市郎が染五郎、才次郎が勘太郎で、今回も同じ。といっても、みな一世代若くなった。父親が20年前に演じた役を、いまの勘九郎・染五郎・勘太郎が演じることが、ひとつの見どころ。これは歌舞伎ならではだ。
 もともと完成度の高い脚本なので、大きな改変はないと思う。ギャグも20年前のままで、はたしていまの若い観客に分かるかどうかというのもあった。
 20年前に、今日のSNS社会を予見していたことが、改めて分かる。仇討ちを見物したい人々の群集心理の恐ろしさは、見事なまでにリアルに感じられ、20年前は笑えたが、いまは笑えない。
 20年前の染五郎(現・幸四郎)は勘三郎の世界に溶け込んでいたが、今回の染五郎は、勘九郎との共演機会が少ないせいもあってか、最後まで異質。2人は敵味方なので、その理解し合えない関係性が、結果的によく出ていた。その分、舞台からは20年前にあった熱狂は薄まって、クールな空気感。それゆえに、この芝居が、救いのない物語なのだと突きつけてくる。これを笑って見ていた時代は、もう戻らない。
(作家・中川右介)                    

                                        
















