新しい音楽を漂わせた才能が虎視眈々と桂三枝の座を狙っていた
そして、そんなイジられ役の中から、才能を開花させ、大きく羽ばたいていったのが、ご存じ明石家さんまである。
この原稿のために調べたら桂三枝、生まれは1943年で実は戦前。もちろん団塊の世代よりも年上だ。逆に明石家さんまは55年生まれ、何と12歳差。この違いは大きい。だから当時32歳の三枝が、戦後生まれ、20代の若手をイジる立場になったのも、当然といえば当然のことだったのだ。
そんな年齢のせいだろうか。桂三枝には音楽のイメージがない。では当時、ニューミュージック的な存在は、誰だったのか。それはもう笑福亭鶴瓶(51年生まれ)に尽きる。自身のラジオ番組MBS「ヤングタウン」(月曜日)で、フォークの曲を積極的にかけていたことが思い出される。さらに、のちの明石家さんまからは、矢沢永吉やサザンオールスターズなど、ロックのにおいがした。
新しい音楽を漂わせた新しい才能が、虎視眈々と三枝の座を狙っている。そんなことを知ってか知らずか「オヨヨ」「グー」などの奇声を発しながら、西のテレビ界のMVPとして君臨している32歳。それが「1975年の桂三枝」だった。