歌手・湯原昌幸さん振り返る 妻・荒木由美子さんとの出会いから結婚まで、せんだみつお「ナハ、ナハ」誕生秘話
ミキサー室から、「スタジオで口説かないで」と
その後は仕事でよく会うようになりました。彼女は堀越学園に通っていたから堀越の制服を着てやってきた。それがかわいらしくてね。でも、年が13も離れているし、女性として意識したとか一目ぼれしたとかではなかったですね。人として芯の強さみたいなものは感じました。
僕が昼のワイド番組の司会をしている時に彼女がゲストで来ました。生放送のリハーサルが終わって、本番まで1時間くらい。その時に僕が口説いていたらしいの。しかも、スタジオのマイクが生きたままだった。ミキサー室から、「スタジオで口説かないで」と言われたのを覚えています(笑)。
せんだみつおと九州の諫早に旅もののリポートで出かけたことがあります。そこにたまたま小柳ルミ子のドラマに由美子も出ていて、ロケに来ていた。僕らは収録が終わって先に大勢でホテルの部屋で飲んでいました。後から撮影が終わった由美子たちが部屋の前を通りかかったので、「みんなで飲もう」と誘いました。由美子には「私は飲めないから」と断られたけど、「いいから、いいから」と部屋に入れて。
■「俺んとこに帰ってこい」の意味不明なプロポーズ
それからはもうできあがっていた僕は、何も覚えてなくて。ただ、由美子のことを女性として見ていたのかな、「3年待ってるから、俺んとこに帰ってこい」と言ったらしいの。「帰ってこい」って意味がわからないでしょ。僕だってわからないもん(笑)。
それから仕事で会うようになって、しっかりした女性だなと思うようになり、3年後に本当に結婚しました。神が降りたんだと思います。僕は運命論者で、運命に導かれたと思っています。由美子には運命で結婚するのはイヤ、惚れた腫れたで結婚してほしいと言われましたけど(笑)。
せんだとの出会いはね……。僕が売れて仕事が忙しかった頃のことです。ラジオ番組の企画でした。羽田空港で飛行機から降りてきた有名人に「すいません、インタビューです」と呼びかけるコーナーがあったんです。僕が待っているとたまたませんだがやってきた。その時にマイクだけ持って出て行くより、笑いながら「ナッハッハ」と出て行く方が面白いんじゃないかと思ったのね。それをせんだがパクったのが、彼の「ナハ、ナハ」のギャグ。
あの時は「ナハ、ナハ」はウルトラマンが飛び立つ前に言う言葉だというので、せんだが円谷プロに電話して、「ナハ」って言ってるのか確認したらしい。すると「ウルトラマンはM78星雲から来ているから」と言われたそうです(笑)。せんだは以来、そのまま自分のギャグとして使っています。
座右の銘にしている言葉もあります。「錆びつくより擦り切れる方がいい」。これは「フィールド・オブ・ドリームス」という映画で主役を演じたケビン・コスナーの言葉です。でも、後からわかったのですが、元はケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースの言葉。でも、最初に聞いた時から気に入っているので、僕が作詞作曲した「男の砂時計」という曲の中で使わせてもらいました。福田みのるさんが歌った曲です。


















