日吉マムシダニに轟いた錦織圭への歓声とタメ息…日本テニス協会はこれを新たな出発点にしてほしい
慶応大学が横浜日吉にキャンパスを広げたのは昭和8年で、小泉信三がテニス部長から塾長に転身したその年、蝮谷テニスコートは完成した。マムシダニと読む。
皇太子(現在の上皇)の教育係になる小泉は軟式庭球時代のエース。英国留学を機に硬式移行を提言し、蝮谷は硬式庭球=ローンテニスの拠点となった──いまもマムシが出そうなオールドコートに歓声が轟いた。
ツアー下部大会シリーズの最終戦、横浜慶応チャレンジャーに錦織圭が登場した。8月のシンシナティで腰痛が再発し、全米、デ杯、ジャパンオープンを欠場、3カ月ぶりの復帰だ。国内の個人戦では2024年のジャパンオープン以来、その前が東京五輪(無観客)……国内で錦織を見る機会はめったにない。土手に横6列の客席は満員札止めの盛況だった。
腰骨に絡む故障で、休む以外に選択肢はなかったと言う。
「これまでもケガの連続でしたが、徐々に時間がかかるようになり、1年で戻ったフェデラーとは違うんだと考えたり……出場はギリギリまで迷いましたが、1試合でもプレーして来シーズンのことを考えたかった」


















