中日1位・中西聖輝「甲子園優勝」でプロ入り決意も、土壇場で青学大進学に“翻意”した顛末
中西聖輝(青学大・21歳・投手)
中西の父・あざみさん(48)は、墓の解体や撤去から各種手続き、墓じまい後の永代供養までをトータルでサポートする「株式会社 美匠」の社長を務めている。
高校時代に知り合った母・典子さん(48)と結婚し、大型トラックやダンプを運転していた1990年代半ばのある日のこと。知り合いの石材店の社長から「撤去した墓石の処分に困っている」と相談を受けた。馴染みの産業廃棄物の処理場に電話をすると、「引き取れる」との返答が。同様の悩みを抱える石材屋は他にもあるに違いない--。そう考えたあざみさんは、奈良県中の石材店にハガキを出してみることにした。イラスト入りの案内は広告代理店に依頼。数十万円の先行投資だが、勝算はあった。あざみさんが言う。
「反響は想像を超えるものでした。稼いだお金で大阪、三重、和歌山にもハガキを出すと、続々と依頼が舞い込んできた。当初はドライバーの副業でしたが、とてもさばききれなくなり……」
2003年、意を決して独立。「美匠」を立ち上げた。現在は30人超の従業員を抱える。
中西は会社を設立した年に次男として生まれた。6歳上に姉、4歳上に兄がいる。兄の橿原ドラゴンズ入団と同時に、あざみさんも中学までの野球経験を生かしてコーチとして参加。中西が物心ついた頃には野球は身近なもので、父と兄を追っての入団は必然だった。
「小学2年の頃にはもう、投手として6年生の試合に出ていました。ボールを遠くまで投げる力、打球を飛ばす力。親のひいき目を抜きにしても、モノが違った。4つも離れた先輩たちと同レベル……いや、上だったかもしれません」(あざみさん)
光陽中時代は橿原磯城シニアに所属し、エースとして春夏の関西大会を連覇。強豪校から声がかかり、選択肢には恵まれていたが、最終決定は中西に任せた。あざみさんには「思考が行動を変え、行動が結果を変える」という信念がある。野球人生において高校選びは重要。子どもたちには、自分の意思で進路を決めてほしかった。
中西は智弁和歌山高2年秋、大きな壁に直面した。新人戦、秋季県大会、秋季近畿大会の3戦連続で同県の市和歌山に敗北。同校は翌年ドラフトでDeNA1位の小園健太、ロッテ1位の松川虎生を擁する強敵だった。
「聖輝は『小園はええピッチャーやな。悔しいけど現時点では負けている』と。こんなことを言うのは珍しいと思ったのも束の間、『絶対に追い抜く。このまま終われない』と、対抗心を燃やしていました」(同)


















