【追悼 美輪明宏さん】寺山修司と三島由紀夫…2人の天才との運命的な出会い
美輪は台本を読むなり、「面白いじゃない。ボク、やるよ!」と興奮気味に言った
寺山は美輪に、1967年に旗揚げした劇団「演劇実験室・天井桟敷」第1回公演「青森県のせむし男」への出演オファーをした。
松竹女優だった妻の九條映子(後に美輪の勧めで今日子と改名)がSKD(松竹歌劇団)時代から美輪の大ファンで、美輪の誕生日に花束を抱えて楽屋を訪問する仲。九條主演の映画「黄色いさくらんぼ」で共演したこともある。とはいっても、美輪の役は「醜い老婆」だ。「たぶん断られるだろう」と思ったが、美輪は台本を読むなり、「面白いじゃない。ボク、やるよ!」と興奮気味に言った。
そればかりか、自分の住んでいるマンションの空き部屋を稽古場に使うよう手配してくれた。
せっかく人気が回復している時に、「アングラ芝居」の汚れ役に周囲は猛反対したが、舞台は大評判となり、続く「毛皮のマリー」(1967年)も大ヒットした。それが美輪の人生の転機となった。
「毛皮のマリー」は、美輪扮する男娼と「息子」の美少年の愛憎の物語だが、舞台美術を担当した横尾忠則のセットが大きすぎて舞台に搬入できず、2つに切ろうという提案に横尾が激怒。横尾が降板したため、美輪が自宅の豪華な調度を持ち込んで事なきを得た。


















