戦国時代小説「修羅にうたう」永井紗耶子氏 連載直前インタビュー
これまで江戸の芝居小屋や大奥、「日本霊異記」に想を得た物語から歴史上の人物まで、「語られてこなかった人生」を静謐な筆致で掘り起こし紡いできた永井紗耶子氏による戦国時代小説「修羅にうたう」が7月6日からスタートする。
主人公は、戦国時代に活躍した連歌師・柴屋軒宗長(さいおくけん・そうちょう)。今川氏親の代理人として、武田信虎との停戦交渉を人脈と文化資産で切り開いていくさまを描いていく。
時は永正13年。甲斐国の勝山城城下を荷車を押して歩く隊列の中に、駿府で兵として集められた農夫の少年・佐助がいた。先導する侍に「敵は甲斐の武田」と言われても、一体誰のことだか分からない。
ここは今川が援軍する大井氏が押さえる安全な土地。だが敵の襲来に遭い、佐助らは命からがら勝山城城門をくぐる。城内には将兵のみならず、馬方や猿楽の太夫ら2000人近くが足止めされていた。まさかこれが2カ月近い籠城の幕開けとは誰も思わずに──。物語はそんな不穏な空気の中から始まる。
「今作は、連歌師・宗長を主人公に、今川氏親-武田信虎時代の勝山城籠城の停戦交渉を描く物語です。私が、宗長を知ったのは閑吟集がきっかけ。戦国時代にはやっていた歌を宗長がまとめたと言われている歌集なのですが、戦国とは思えないほど、美しい花や恋が歌われている。この人、どんな人なんだろうと、興味を持ちました。いろいろと調べてみると、宗長は今川義忠・氏親の2代にわたって仕えつつ諸国を巡り、連歌会を通じて人脈を築いていて、宗長が残した日記に基づいて地方史が作られたりもしているんです。記録者であり、連歌師であり、また京で一休宗純に学び僧侶としての顔も持つ宗長が今川側の人間として武田との外交交渉に臨んだのは、彼の生涯においても大きな仕事のひとつだったと思います」
連歌とは短歌の上の句(五七五)と下の句(七・七)を別々の人が詠み、その付合を楽しむ文芸。連歌師は、いわば連歌の指南役で、連歌を詠むためには和歌や物語などの古典の教養が必要とされたため、一流の文化人でもあった。戦国時代、世間では連歌が大流行し、公家や大名、豪族らは競って連歌の会に座したという。
「連歌師に認められることは彼らにとって一種のステータスだったんですね。いわばゴルフコンペに同行する“プロゴルファー”に褒めてもらい、お墨付きをもらうような感じかも(笑)。なかでも宗長の格は高く、引っ張りだこでした。宗長が連歌の会で築いた人脈は宮中、諸国の有力な武将から幕府の中心部の人物までと幅広く、それら過去の人脈が武田との交渉の鍵のひとつとなるんですね。資料にあたるなかで、思いがけないつながりやキーポイントに気づき、パズルのピースが埋まっていく感がありました」
「急がば回れ」と詠んだ70歳ヒーローの刀を抜かない戦い方
今作の物語の特徴は、「視点」を宗長に固定せず、ほぼ週替わりで代わっていく点だ。最初は農夫の少年・佐助、やがて太夫、侍大将と城外から城内へと目線が移っていき、読者は自然と戦の全貌や宗長の姿を知ることになる。城内の権力勾配や食料争奪など、情報非対称がもたらす群像劇も読みどころだ。
気づけば甲斐の中に今川の孤軍として残された勝山城。そこへ氏親の親書を持った宗長が身一つでやってくる。このとき、宗長70歳。
「70歳のヒーロー登場です(笑)。戦いは常に上位者の目線で語られがちですが、犠牲を強いられる側の目線も描かないと全体像って見えてこないと思うんです。宗長は僧として戦地で記録を残す従軍ジャーナリストのような立ち位置でもあったので、斬られる側の人間のこと、それこそ戦場の見たくない部分もきちんと見ていた人ではないかと感じます。同時に宗長は、吐月峰柴屋寺と名付けた寺に居を構えるなど、文化や美しいものを愛した人でもあったので、戦国の世にあっては生きづらかっただろうと思います」
著者は宗長の人となりを表す言葉として「急がば回れ」を挙げる。
「この慣用句は宗長の歌が由来と言われているんですが、慎重で粘り強い宗長の人柄そのものであり、それが停戦交渉に寄与したと思いますね。気が長くないと“刀を持たない交渉者”にはなれませんから」
甲斐の勝山城と周辺を舞台に、文化を愛した70歳のヒーローがどんな交渉劇を見せるのか。乞うご期待。
▽永井紗耶子(ながい・さやこ) 1977年生まれ、神奈川県出身。慶応義塾大学文学部卒。新聞記者、フリーライターを経て、2010年「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。21年、「商う狼-江戸商人 杉本茂十郎─」で第40回新田次郎文学賞を受賞。23年、「木挽町のあだ討ち」で第36回山本周五郎賞と第169回直木賞のダブル受賞を果たす。近著に「青青といく」「めぐる糸」など。


















