河川工学の重鎮が警鐘「経済優先の自然観からの転換を」

公開日: 更新日:

大熊孝(新潟大学名誉教授)

 今年7月、60人を超える死者、行方不明者を出した熊本豪雨。今回の水害は「人災」だと言われている。それは球磨川治水を巡って、同県の蒲島郁夫知事が2008年に川辺川ダムの建設を止めたからだ。蒲島知事は11月になって一転、建設容認に舵を切ったが、ダムを造れば「水害」を防げるのか。そんな単純な話ではない。「民衆の自然観を破壊してきた国家の自然観の見直しが必要」と河川工学の重鎮は警鐘を鳴らしている。

 ◇  ◇  ◇

 ――洪水で甚大な被害が出たものだから、川辺川ダムが一転、建設の方向となりました。

 流域住民は球磨川をどんな川にしたいのでしょうか。水害には遭いたくない。でも、豊かな自然の川は残したいと思っている。

■人為的なゲート操作など嵐の現場ではできない

 ――そこで自然にやさしい「流水型ダム」(穴あきダム)ならば、いいんじゃないかと蒲島知事は言っています。

 穴あきダムは、底部に洪水を流すための穴があるダムです。普段は水がその穴を流れますが、洪水となり、流し切れなくなると、次第に貯水位が上昇します。そうなると圧力がかかり、放出量も増え、自然に洪水調節が行われます。しかし、川辺川ダムは今までにない巨大流水型ダムになります。穴の大きさ、長さとも従来とはケタ違いになる。魚類への影響は避けられず、堆積物の量も増える。砂礫が流れなくなり、瀬や淵が破壊され、川の生態系が変わり、川辺川だけでなく、本川の球磨川も死の川になる可能性があります。さまざまな洪水流出のパターンを計算してみると、固定した穴では貯水容量がすぐ満杯になるケースがあります。それを防ぐには、ゲートをつけて穴の大きさを調節する必要があります。しかし、これでは人為操作が不要という穴あきダムのメリットがなくなってしまいます。人為的なゲート操作は大変難しいのです。

 ――コンピューターで制御できないんですか?

 私は博士課程の時に、前橋にある建設省(当時)利根川ダム統合管理事務所に3カ月ほど実習に行き、薗原ダムで洪水調節のゲート操作に立ち会ったことがあります。その時、こんな恐ろしい仕事には就きたくないと思いました。緊急放流しなければならない段階というのは、風も雨もすごくて、ダムの水面は波打っています。水位は機械的に平均値が表示されますが、嵐の現場では変動しますから、とっさの判断は難しい。緊急放流すれば下流では一気に水があふれる。死者が出たこともあります。人が亡くなれば、操作担当者はそれを一生背負って生きていくのです。

 ――蒲島知事はダム中止と建設で揺れましたね。

 08年に川辺川ダム建設は中止にしたけど、そのあと天草の路木ダムについては賛否の議論があったのに建設しました。阿蘇の外輪山に造っている立野ダム、これも穴あきダムですが、熊本地震の際に工事中のトンネルが土砂で詰まってしまいました。地質的に危ないから中止にできたのに蒲島さんはしなかった。きちんとした自然観があって行政をやっているとは思えません。

もともと我々は氾濫しやすいところに住んでいる

 ――こうして毎年のように水害が起こると、やっぱりダムは必要なのではないか、と思いがちですが。

 日本全国に洪水調節用のダムは約580基あり、そのうち40基が現在、建設ないし計画中ですが、ダムはかなり上流域に造られます。ダムに集まる水はその上流ですから、流域全体の中でダムが支配できる割合はそもそも小さく、豪雨の時に役立ったかどうかを検証することは難しい。

 ――19年の台風19号の際には八ツ場ダムのおかげで助かったといわれました。

 国交省が詳しいデータを公表していないので、机上の計算ですが、八ツ場ダムが水をため込んだことによる下流域での洪水低減効果は、利根川が平野に流れ出す伊勢崎市で水位にすると、たかだか40センチです。この時の洪水位は堤防の天端までまだ3メートル以上の余裕がありました。それで「首都圏を氾濫から救った」というのは大げさすぎると思います。

 ――18年の岡山・真備町などが中心的被害を受けた洪水も悲惨でした(死者226人)。

 小田川の破堤氾濫で4600棟が浸水し、51人の死者が出ています。そのうち42人が住居内の溺死で45人が65歳以上のお年寄りでした。あそこはもともと一面田んぼでした。氾濫しやすいところを開発した。その時、住宅購入者に氾濫しやすいことを知らせようともしなかった。住んでいたのは僕と同世代の70、80代です。一生懸命働いて、やっと家を建てたのに、水害で寝たきりのまま溺死した。どんな思いだったでしょう。

 ――昨今、水害が頻発しているのは温暖化の影響だと思いがちですが、違うのでしょうか?

 それもあるでしょうが、もっと根本的な問題があります。我々が住んでいる平野はもともと氾濫によって造られたところです。そのことを無視して都市開発し、住民が被害に遭っている。ちょっと前まではハザードマップすら公表されていなかった。

 ――低いところにお年寄りの施設もありました。

 球磨川洪水で14人が犠牲になった特養の千寿園ですね。球磨村は平地が少なくそこに立地するしかなかった。しかし、危ないのであれば、あふれた水の勢いをそぐための「樹林帯」をつくる、お年寄りは2階に住んでもらうなど当たり前のことができていなかった。16年の岩手・小本川の氾濫の時も、もともと河川敷の1階建ての老人ホームで9人の犠牲者が出た。対策を何もしていないんです。

■日本人の「自然との共生」という概念が消滅しました

 ――自然災害は土木で克服できると思っているのでしょうか。

「本家の災害」「分家の災害」という概念があります。日本人は縄文時代から1万年以上、災害を経験してきました。江戸時代末期の人口は3000万人くらいです。その頃までに立地していた家は、災害を意識して土地を選んでいる。いわゆる本家があるところで、そこはめったに水害に遭わなかった。その後、人口が4倍になっていく。もともと氾濫していたところにも家を建てざるを得なくなってきた。そういうところがなんの備えもなしに、被害に遭う。これが分家の災害で、人災というしかない。武蔵小杉も多摩川が蛇行した跡ですよ。

 ――自然を畏れ逆らわず、共生するのではなく、自然克服、開発優先できたツケですか。

 日本人が元来持っていた自然観は「自然との共生」でした。しかし明治以降、近代的な科学技術思想が導入されると、自然を人間に対立する存在として捉え、自然をコントロールし、災害は可能な限り撲滅し、恵みは徹底的に収奪していくようになった。自然と共生していく民衆の自然観は明治以降の150年間でほぼ消滅しました。それが昨今の災害を激化させている要因ではないでしょうか。昔は日本人は自然を壊してまで生きていくことは「うしろめたい」ことだという自然観を持っていました。家を建てる時には水害に遭わないかをチェックし、いざとなったら逃げることを考え、舟を用意していた。今はダムさえ造れば、川の氾濫はコントロールできると過信しているのではないですか。

 ――自然との共生に否定的な考え方は経済最優先、その裏には土木利権もちらつきます。菅政権に近い竹中平蔵さんは過疎地のインフラ整備や行政サービスを続けるのは非効率だから、住んでいる人を都会に移せばいい、と主張していましたね。

 そういう形での人間存在はあり得ないと思います。水や石ころから生物まで全部が関係しあった自然の中に私たちの命があると思います。その自然の中にはウイルスも細菌もいる。そういうものとの関係性の中に我々人間がいて、自然に抵抗力がついたりする。それがコロナ禍におけるファクターXかもしれませんね。

▽おおくま・たかし 1942年生まれ。東大工学部卒、新潟大教授を経て名誉教授。専門は河川工学・土木史。2014~19年、新潟市潟環境研究所長。「社会的共通資本としての川」(宇沢弘文氏と共編著)など著書多数。「洪水と水害をとらえなおす 自然観の転換と川との共生」で20年、毎日出版文化賞を受賞。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

最新のライフ記事

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1
    甘利幹事長がNHK「日曜討論」で上から目線&根拠不明発言連発! 自民議員は「票が減る!」と悲鳴

    甘利幹事長がNHK「日曜討論」で上から目線&根拠不明発言連発! 自民議員は「票が減る!」と悲鳴

  2. 2
    小室圭さん母子の金銭トラブルでスポーツ紙の誤報を垂れ流す「ゴゴスマ」に疑問

    小室圭さん母子の金銭トラブルでスポーツ紙の誤報を垂れ流す「ゴゴスマ」に疑問

  3. 3
    東出昌大"飼い殺し"で引退危機…ハーフ美女「呼び寄せ愛」の重すぎる代償

    東出昌大"飼い殺し"で引退危機…ハーフ美女「呼び寄せ愛」の重すぎる代償

  4. 4
    巨人非情の「主力大減俸リスト」 V逸&泥沼10連敗で億万長者選手に迫る“厳冬オフ”

    巨人非情の「主力大減俸リスト」 V逸&泥沼10連敗で億万長者選手に迫る“厳冬オフ”

  5. 5
    巨人痛恨の連敗で7.5差、事実上の“終戦”に…今オフ狙われるのは菅野よりこの男!

    巨人痛恨の連敗で7.5差、事実上の“終戦”に…今オフ狙われるのは菅野よりこの男!

もっと見る

  1. 6
    群馬の「暴威」は手の付けられない不良だった

    群馬の「暴威」は手の付けられない不良だった

  2. 7
    山本淳一は「妻をソープ送り」報道…光GENJIの“哀れな末路”

    山本淳一は「妻をソープ送り」報道…光GENJIの“哀れな末路”

  3. 8
    日本ハム“ポスト栗山”に浮上する「意外な3人」の名前 最有力候補の稲葉篤紀氏には障壁が

    日本ハム“ポスト栗山”に浮上する「意外な3人」の名前 最有力候補の稲葉篤紀氏には障壁が

  4. 9
    専門家もお手上げ? コロナ感染者が急減のナゾ…「減ったように見えるだけ」の指摘も

    専門家もお手上げ? コロナ感染者が急減のナゾ…「減ったように見えるだけ」の指摘も

  5. 10
    元巨人“代走のスペシャリスト”鈴木尚広さんが東京・世田谷で農業に夢中なワケ

    元巨人“代走のスペシャリスト”鈴木尚広さんが東京・世田谷で農業に夢中なワケ