政治家と官僚は尾畠春男流の“対価を求めない生き方”に学べ
藤沢周平さんが愛した店として、練馬区大泉学園の鰻屋さんがNHKの「サラメシ」で紹介されていた。藤沢さん、鰻がお好みかと思ったら、国産の大ぶりのもも肉をじっくり、醤油強め、さっぱりした味付けの「とり重」が定番だったという。来客には「鰻重」でもてなし、自分はいつも「とり重」だったと店主が語る。藤沢文学に登場する市井の人たち、下級武士たちは、彼のこうした人柄から生まれてきたのだと思った。その藤沢さんの口癖は「普通が一番」だった。
そんな普通の人、尾畠春夫さん(78)に学ぶことは多い。この夏の暑い盛りに一服の清涼剤のような出来事が、「2歳の理稀ちゃん無事発見」だった。山口県周防大島町で3日間行方不明になっていた藤本理稀ちゃんが、ボランティアで山に入っていた大分県日出町の尾畠さんによって発見された。彼については、大マスコミも週刊誌もさまざまな角度から報じているが、多くの人が感銘を受けたのは、彼の口から発せられる普通の人の普通のことばだった。