ロッテ稲尾和久監督に結婚式の仲人を依頼すると、「まさか」の展開に
元ロッテ西村徳文氏による「野球人生七転八起」(第10回=2021年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は元ロッテ監督の故・稲尾和久氏について綴られた元ロッテ西村徳文氏による「野球人生七転八起」(第10回=2021年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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1984年から86年までの3年間、ロッテの監督を務めた稲尾和久さんは、西鉄での現役時代に鉄腕と呼ばれ、「神様、仏様、稲尾様」と称された大選手だ。
当時のロッテは、かつて西鉄が本拠地としていた福岡・平和台への移転を検討していた。その先鞭をつけるべく、稲尾監督が誕生したと聞いた。
稲尾さんは辛抱強く試合で使ってくれた。当時は二塁守備での失策だけでなく、走塁でも盗塁死が少なくなかった。私のプレーが原因で試合に負けたこともある。コーチから怒られることはあっても、稲尾さんには一度も怒られた記憶がない。


















