安倍は消去的選択で政界へ 石破は田中角栄の一喝が契機に
野上 安倍は特攻隊の生き残りだった父・晋太郎とは違って、政治家を強く志していたわけではありません。私の取材に「職業政治家への道をはっきり意識したのは中学の高学年から高校時代にかけてだった」と話していましたが、実際は違うでしょうね。学生時代も何をやろうか迷いあぐねていた。「あまり勉強は好きではなかった」と安倍も言っていますが、要するに勉強が苦手。だから自信がない。進路を決める大学3、4年になっても「政治家になる」と明確な言葉で聞いた仲間はいませんし、卒業後は米国に語学留学。晋太郎の選挙区事情もあって神戸製鋼所に“政略就職”しています。
鈴木 政治家を目指していない点は石破も同じです。大学3年の頃に参院議員だった父・二朗に「政治家になる気はあるか」と聞かれ、「まったくありません」と答えている。卒業後は三井銀行(当時)に入行しました。
野上 安倍の場合は次男だったことも影響しています。安倍家は選挙区の後援会も含めて、2歳年上の兄・寛信が後継という考えでいた。安倍兄弟は学生時代から選挙を手伝ってきたのですが、社会人になってから寛信が政治家は嫌だと突っぱねたのです。冬の選挙応援で風邪をこじらせ、ウイルスが脊髄に入って3カ月ほど入院生活を送った。衆人環視の政治家の生活にも耐えられないと。それで安倍にお鉢が回ってきたというわけです。晋太郎が外相就任直後にサラリーマンを辞めさせられ、秘書官になったことが政界入りの契機で、いわば消極的選択です。