柴山文科大臣 「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではない
柴山昌彦文科大臣が就任直後の記者会見で教育勅語の活用に論及した。いわく、「現代風に解釈されたりアレンジした形で使える部分は十分にあり、普遍性を持っている部分が見て取れる。同胞を大切にするとか国際的な協調を重んじるとかいった基本的な内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きも検討に値する」。
しかし、原文に確認してみたが、「同胞を大切に」という趣旨は「親孝行、兄弟仲良く、夫婦仲良く、友人と信じ合い、他者に博愛の手を差し伸べ」から明らかであるが、「国際協調」はどこにも読み取れない。
ところで、「同胞を大切にする」ことは、確かに普遍的な価値で、誰も否定できない。しかし、それを教育に生かしたいならば、単に「同胞を大切にしなさい」と教えれば済む話で、教育勅語を持ち出す必要などない。
改めて指摘しておくが、教育勅語の趣旨は、後半部分に明記された、「危急の時には、正義心から勇気を持って公に奉仕し、よって、永遠に続く皇室の運命を助けよ」と国民に命じている点である。
そもそも、「勅語」という法形式自体が、国の統治権を総攬していた天皇がその大権に基づき直接「臣民」に「下賜」する意思表示で、当時それが憲法の付属文書のような法的拘束力を持っていたことは歴史的事実である。そして、それが、第2次世界大戦の敗北に至った軍国主義を支えたことも史実である。