民主主義志向の官僚と“無自覚の社会民主主義者”田中角栄
![手をつないで万歳する(左から)佐々木良作民社党委員長、大平正芳首相、都知事に初当選した鈴木俊一、竹入義勝公明党委員長=1979(昭和54)年4月9日、東京・新宿(C)共同通信社](https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/336/391/5eaee3ee9fe8580431a2c0ace473428c20240219113629167_262_262.jpg)
旧内務省の地方局畑育ちの官僚は、警保局育ちの官僚よりもはるかに民主主義的な志向が強かった。田中角栄の派閥にはそういうタイプの官僚が集まっていた。いわゆるハト派タイプも少なくなかった。逆に警保局育ちの官僚は、例えば自民党の中でもタカ派の言動が目立つ時があった。
田中の熱狂…
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