談話を出さずに途切れる「反省」…語り部がいなくなる「戦後」への懸念
戦争を知っている人がいなくなる

政府による80年談話は見送られるが、これは「政争」以上に重要な意味を持つのではないか。ただでさえ、戦争経験者がいなくなり、平和が理念ではなく、経済合理性で語られる今、反省と不戦の誓いを新たにする政府談話が打ち切られれば、ますます風化に拍車だろう。石破首相の断念が歴史の分岐点になる不安。
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節目となる戦後80年目の8月15日──。結局「80年談話」は発出されなかった。戦後50年、60年、70年と、10年の節目ごとに出されてきた「戦後談話」はプツリと途切れてしまった。
10年に1度、日本のトップがあの戦争を「反省」し、不戦を誓うことは、国内だけでなく、戦前、日本が侵略したアジア諸国に対しても「日本は二度と戦争をしない」というメッセージになっていた。
なのに、石破おろしに血道をあげる“裏金集団”旧安倍派の圧力に屈し、石破首相は「80年談話」を出すことを断念。さらに、閣議決定を経ない「首相見解」さえ出せるのかどうか、分からなくなっている。旧安倍派を中心とする非主流派は、「談話」はもちろん、「見解」も出させないつもりだ。
これで「戦後談話」の慣行は途絶え、もう二度と「談話」は出されないだろう。
しかし、いままでつづいていた「談話」が、政争の具にされ、途絶えるなんて、これほど愚かな話もないのではないか。
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