五木寛之、松本清張、柴田錬三郎、阿佐田哲也、山藤章二…日刊ゲンダイ創刊号は豪華執筆陣でのスタートだった
「この人と100時間──密着ドキュメント」という連載では、「中ピ連」の代表だった榎美沙子に密着している。その頃、「中ピ連」は流行語となっていた。創刊当時から、現在の紙面と同じように、旬の人、注目の人を取り上げていた。
1975年の流行語は、「赤ヘル」「中ピ連」のほかに、「アンタあの娘のなんなのさ」や「乱塾」などだ。
まだ、テレビがお茶の間の中心であり、リモコンで番組表が表示されることもない時代だったから、テレビの「番組欄」も2ページあった。「テレビ三面記事・ウイークエンダー」「前略おふくろ様」「びっくり日本新記録」などが人気を博した。
ネットが登場するはるか前だったからだろう。「小田急線 植木市 2日まで」「明日でおわり 三越落語競演会」といった街ネタも満載。
1975年は、100円ガスライター「チルチルミチル」が発売され、「紅茶キノコ」が爆発的に流行した年だった。


















