50年来の付き合いだった河野洋平さんを偲ぶ 浅利慶太さんと2人で「総理にする会」を
自民党“最後のハト派”河野洋平さんが亡くなった。享年89。
彼を語るとき、「金権体質を批判して自民党を飛び出し新自由クラブをつくった」「河野談話で慰安婦の強制性を認め謝罪した」「自民党総裁で唯一総理になれなかった男」といわれるが、私が知る河野さんの素顔について書いてみたい。
私が河野さんと出会ったのは、新自由クラブができて間もない1976年ごろ。私は週刊現代編集者で、自民党の大物都議の不倫問題を追いかけていた。彼は新自由クラブに鞍替えして衆院選に出るといわれていた。
ある日、出張校正をしている凸版印刷に劇団四季の浅利慶太さんが訪ねてきて、「河野に会ってやってくれないか」といわれた。東京ヒルトンホテルで初めて会った河野さんは、金権政治で腐りきった自民党批判を熱く語り、くだんの人間が我々には必要だと説いた。
私は意気に感じ、週刊誌の企画をボツにした。
以来、新自由クラブに足しげく通い、山口敏夫さんや柿沢弘治さんらとも親しくなり、河野さん、浅利さんとで、赤坂の「津やま」で何度も杯を交わした。


















