50年来の付き合いだった河野洋平さんを偲ぶ 浅利慶太さんと2人で「総理にする会」を
1979年。親しくしていた麻生良方さん(元民社党)から「都知事選に出るから、河野さんに党推薦してくれるよう頼んでくれないか」といわれた。その旨を伝えると、しばらくして河野さんから自宅に電話があった。党としては「ウシオ電機」の牛尾治朗さんを推薦する。大平正芳総理も乗ってくれそうなので、「申し訳ない」と。
だが、この話は公明党が推す鈴木俊一候補に自民党が乗ることを決め、大平総理との約束は反故にされた。
当時、河野さんの父・一郎氏(元副総理)が所有し、ナスノカオリ(1971年の桜花賞馬)やナスノチグサ(73年のオークス馬)などの名馬を輩出した那須野牧場をなぜ手放したのか聞いてみた。党首が競馬馬を持つことを批判されないためだといったが、本当のところは立党資金や選挙資金を工面するためだったのだろう。
カネには本当に困っていたようで、“資金調達役”の山口さんと衝突するようになり、事務方は疲弊していた。そこで私に「2人を和解させてくれ」という難題が持ちかけられた。私は行きつけの新宿の割烹を借り切り、暮夜、2人に来てもらって、「十分に話し合って仲直りしてくれないか」といって外へ出た。だが、党崩壊への流れは止まらなかった。


















