西ドイツ留学で日に日に自分のプレーが“欧州仕様”になっていくのが分かった
もともと「日本サッカーの父」クラマーさんから「カマモトにはプレーに速さがない。このままでは世界のトップでは通用しない」と言われていた。それでも、外国の代表や強豪クラブと対戦しても、そこそこ通用していたのでクラマーさんの言葉が、いまひとつ理解できていなかった。
■プロの試合で現金支給
留学先で「親善試合と真剣勝負では球際の厳しさが違う」ことも教えられ、DFのタックルに対して素早く対処するプレー、正確なトラップから機敏に反転する方法など、日に日に欧州仕様になっていくのが分かった。
留学後半には、地元プロのザールブリュッケン(当時2部)の一員として1部のノインキルヒェン、2部のマインツとの試合にFWとして出場した。そこでゴールを決めることができたのも、スピードと俊敏性が向上したからだったと思う。プロ同士の試合に出て出場給だったか、勝利給だったか、それとも得点ボーナスだったか、現金が支給されたので「プロとはこういうもんなんやな」と感じ入った。
その現金を遠慮なくもらったような、アマチュアなのでいただけませんと辞退したような、はっきりと覚えていないが、留学の思い出のひとつだ。