近鉄・栗橋茂さんはスナック経営「球団に内緒で現役時代から。立派なことに36年目」
栗橋茂さん(元近鉄バファローズの主砲/73歳)
猛牛軍団の2度のリーグ優勝に貢献した栗橋茂さんは、長く不動の4番打者として“いてまえ打線”を牽引した。近鉄一筋16年。通算1550試合に出場し、打率2割7分8厘、215本塁打、701打点。筋骨隆々の肉体から「和製ヘラクレス」の異名を取り、グラウンド外では底なしの酒豪としても知られた。そんな栗橋さんの今を追った。
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やはりと言うべきか。選手時代は酒の武勇伝に事欠かなかった栗橋さんは、バットをマドラーに持ち替えていた。近鉄の本拠地だった藤井寺球場跡地からもほど近い駅前商店街。その一角にスナック「しゃむすん」はあった。
「別に酒飲みだから水商売を始めたわけじゃないよ。そりゃあ現役時代はけっこう飲んだけど、そもそも酒は好きで飲んでたんじゃない。することがなかったから。早くから寝るわけにもいかないし、じゃあどこ行くかとなると飲み屋になる。当時はスナック経営というものに興味があった。それだけのことよ」
店のオープンは、仰木彬監督率いる近鉄が優勝をかけてロッテとのダブルヘッダーを戦った伝説の1988年10.19の直後。えっ!? 栗橋さんはまだ現役ではないか。
「内緒でね。当時は副業なんて禁止。特に水商売なんてもってのほか。奥さんがスナックをしてることがバレたコーチなんか、店をやめさせられるほど厳しかった。ましてや現役の選手でしょ。だから知らんぷりして、ある人に店を任せたんだけど、球団は知ってたと思うね。店名は南アジアの国あたりで『太陽』の意味があるらしい。名付けたその人が言うてた」
栗橋さんは翌89年に引退。近鉄とは別の球団からコーチ就任の誘いをもらったが、88年オフに阪神から申し込まれたトレードを拒否するほど、栗橋さんにはいてまえ一筋の猛牛愛があった。だから誘いを断り、10席ほどのカウンターの中へ入る道を選んだ。
「やり始めの頃は『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』が言えなくてね。きのうまでプロ野球選手だったから、人に頭を下げることができないんですよ。それに最初は客とけんかばかりしてた。だって随分とエラそうなことを言ってくるんだよ。酒が入るとコロッと態度が変わり、横柄な口のきき方になる。あまりに許せんもんだから、一度若い客に『コラッ。正座あぁぁ!』と怒鳴りつけてやった。そいつ、真っ青になって立ち上がり、ビシッと気をつけをしとったわ」