近鉄の名外野手・鈴木貴久さんの“暑がり珍エピソード”の数々 ベッドの上に山盛りの氷をぶちまけて…
北海道出身で、飛び抜けた暑がり。移動のスーツの下のワイシャツは風通しをよくするため、縦に切れ込みが入っていたほどだ。
サイパンキャンプでは球場以外の場所で、ほとんど姿を見なかった。冷房をマックスに効かせた部屋にいて極力、外に出ないようにしていた。食事は日本から大量の缶詰をもってきて、部屋で食べていたという。
西武戦の際に泊まる立川の宿舎ではこんなこともあった。私が外出から戻ってくると、ホテルの従業員が氷をてんこ盛りにしたアイスペールを抱えて鈴木さんの部屋をノックしていた。ウイスキーの水割りでも飲むのかと思ったら、鈴木さんは中の氷をすべてベッドにドバーッとまき、待たせていた従業員に「どうも」と言って空のアイスペールを返した。「暑くて仕方がないからさ。こうすると気持ちがいいんだ」と言っていた。
当時、近鉄の夏場のユニホームはメッシュ素材だった。通気性をよくするために、細かい穴が無数に開いていた。暑がりの鈴木さんはずっとアンダーシャツ抜き。素肌に直接、ユニホームを着ていたから、デーゲームなどでプレーすると背中の部分も日焼けする。試合後の浴室の洗い場は体中泡だらけで、だれがだれだか分からないけれど、鈴木さんは背中の「2」の部分だけが白くなっていたからすぐに分かった。ユニホームはメッシュでも背番号の部分だけは日焼けしないからだ(背番号は1989年まで「44」、翌年から2000年までは「2」)。