嫌というほど味わった練習地獄と主力との待遇格差…俺の初キャンプは毎日がサバイバルだった
最近は若手、ベテランにかかわらず、「朝6時くらいに始動して、まずはウエートトレーニングから……」などとやっているけれど、当時の俺には、体力のカケラすら残っていなかった。精根尽き果てて宿舎に帰り、布団に倒れ込んでバタンキュー。一瞬で朝が来たような感覚だった。毎日、とにかく1秒でも長く寝ることしか考えていなかった気がする。
練習後も地獄は続いた。キャンプ地の石川市営球場から当時の宿舎だったムーンビーチホテルまでは約5キロある。その距離を野手は休前日、投手陣は毎日、走って帰らされた。休みは1週間に1回くらいだったか。練習がキツすぎて、「そろそろみんながやばいな」という雰囲気になると、「半ドン」(練習が午前中で終わること)になることもあった。とにかく毎日がサバイバル。体が壊れようものなら、すぐさま名古屋へ強制送還……という状況だった。
そんな人生初のキャンプが折り返し地点に来た頃、俺は星野仙一監督のいる監督室へ呼び出された。そこで衝撃の指令を告げられたのである。