「LOVE DOLL SHINOYAMA KISHIN」篠山紀信、文/山下裕二

公開日: 更新日:

 写真界の巨匠が「ラブドール」を撮り下ろした写真集である。ラブドールとは男性の欲望を処理するために作られた性具、かつて「ダッチワイフ」と呼ばれたあれだ。浮袋のように空気を吹き入れるダッチワイフから進化したシリコーン製のラブドールは、世の男性が女性に求める理想を凝縮した究極の容姿を備える。

 しかし、冒頭に登場するこの世に生まれたばかりのラブドールの頭部だけが並ぶ姿は不気味だ。製造元のオリエント工業の作業場で、その眼窩に眼球がはめこまれ、一つ一つ手作業で化粧が施され、豊満な乳房を持つ胴体とつなげられる、その製作過程がまずは紹介される。

 ラブドールは、いくら人間に似せようとも、それは工業製品の域を出ることはなく、触れることこそできるが、コンピューターグラフィックによるバーチャルリアリティーの中の女性と同じ、仮想の関係でしかない。

 しかし、外界に連れ出し、ひとたび巨匠のレンズを通して改めて目の前に現れた「彼女たち」は、その体温すら感じられるほど生々しい。

 あるページでは、黒いレースの下着をつけてベッドに座り、視線に恥じらいを感じているかのようにうつむく(写真上)。

 あるいは、うるんだ瞳で真っすぐにこちらを見つめる(写真上)。目が合うと、その瞬間から「工業製品」であることを忘れ、彼女と自分だけの関係が始まるようだ。

 仲間と連れ立って、森の中に出て行った彼女(同下)は、やがて、下着を取り払い、生まれたままの姿に……。

 さらに、ビルや廃虚でポーズをとって見る者をあおったかと思えば、無邪気に川遊びに興じ始める。

 太陽の光にさらされた彼女たちの肌は一点の曇りもなく思わず手を伸ばしてしまいそうだ。

 2人、3人と増えていくその光景は、仲良しが集まった女子会のようで会話まで聞こえてきそうだ。

 気が付くといつしか、そんなラブドールの中に生身の女性が交じり、お互いに抱擁が始まる。

 現実と仮想が入り乱れ、もはやどれがラブドールでどれが生身の女性なのか、境界があいまいになり、読者を禁断の世界へと誘い込む。

 本書が生まれるきっかけをつくった展覧会の企画者である美術史家の山下裕二氏は、「古来、ヒトがヒトをそっくりにかたどるという行為は、ある種の禁忌とみなされていたのではないかと思う」と記す。

 彼女たちとAIが合体する日もそう遠くはないはず。禁忌の一線を越えた人類はどこに向かうのか――。ラブドールの生々しい存在感に圧倒され、そんな思いが頭をよぎる。

 (小学館 3900円+税)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    米倉涼子“自宅ガサ入れ”報道の波紋と今後…直後にヨーロッパに渡航、帰国後はイベントを次々キャンセル

  2. 2

    「えげつないことも平気で…」“悪の帝国”ドジャースの驚愕すべき強さの秘密

  3. 3

    彬子さま三笠宮家“新当主”で…麻生太郎氏が気を揉む実妹・信子さま「母娘の断絶」と「女性宮家問題」

  4. 4

    アッと驚く自公「連立解消」…突っぱねた高市自民も離脱する斉藤公明も勝算なしの結末

  5. 5

    ヤクルト池山新監督の「意外な評判」 二軍を率いて最下位、その手腕を不安視する声が少なくないが…

  1. 6

    新型コロナワクチン接種後の健康被害の真実を探るドキュメンタリー映画「ヒポクラテスの盲点」を製作した大西隼監督に聞いた

  2. 7

    違法薬物で逮捕された元NHKアナ塚本堅一さんは、依存症予防教育アドバイザーとして再出発していた

  3. 8

    大麻所持の清水尋也、保釈後も広がる波紋…水面下で進む"芋づる式逮捕"に芸能界は戦々恐々

  4. 9

    “行間”を深読みできない人が急増中…「無言の帰宅」の意味、なぜ分からないのか

  5. 10

    万博協会も大阪府も元請けも「詐欺師」…パビリオン工事費未払い被害者が実名告発