中山七里 ドクター・デスの再臨

1961年、岐阜県生まれ。2009年「さよならドビュッシー」で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。本作は「切り裂きジャックの告白」「七色の毒」「ハーメルンの誘拐魔」「ドクター・デスの遺産」「カインの傲慢 」に続く、シリーズ第6弾。

<2>瑞穂には食事すらも治療の一環

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「待っててね。すぐに夕飯の用意するから」

 話し掛けられた瑞穂は再び小さく頷く。亜以子を見つめる目は申し訳なさそうな色を帯びている。やめてくれと思うが、目の色は変えようがない。ベッドの横に置かれた携帯用会話補助装置を使えばキーを押すだけで音声が出力されるが、いかにもの電子音が亜以子は好きになれない。瑞穂も同様で、よほどの時にはスマートフォンのLINEを使う。声が電子音に変換されるのは自身がロボットになったようで落ち着かないらしい。

 亜以子はキッチンに移動し、冷蔵庫に収めていたタッパーから作り置きの食事を取り出す。食事と言っても、今の瑞穂は固形物を噛み砕いたり飲み込んだりすることが困難なので、出来上がった食事をミキサーですり潰して嚥下しやすいように加工しなければならない。当然、食事の量が少なくなるので栄養摂取量も考慮する必要がある。長山家では毎回の食事について、栄養士から指示された摂取量を厳守している。

 今晩のメニューはシチューだった。色とりどりのシチューはミキサーで粉砕され、単一色の半固形物にかたちを変えていく。摂取は鼻から胃まで通したチューブに流し込む。自然に抜ける場合もあるので、毎回確実に胃の中にチューブが入っていることを確認しなければならない。流動食は人肌程度に温め、点滴のように速さを調節しながら1~2時間かけて注入する。舌の上に乗らないので味を楽しむことはできない。食事ではなく栄養摂取という言い方が自然に馴染んでしまうのは、このためだ。チューブから流動食を摂取している時の瑞穂は、お世辞にも楽しそうに見えない。

 他にも終わったら白湯を注射器で注入するように指示されている。チューブが詰まるのを防いで水分の補給にもなるからだが、要は清掃後の液体を流し込んでいるに過ぎない。だから亜以子は白湯の注入にいちいち躊躇を覚える。

 栄養摂取を終えるとチューブを抜き、鼻の周りをウエットティッシュで拭く。ここに至って、ようやく瑞穂はほっと安堵したように表情を緩める。瑞穂にとっては食事すらも治療の一環なのだ。亜以子にも、これが食事だとは到底思えない。摂取の度に緊張を強いるような食事がどこにあるというのか。

 瑞穂とともにテーブルを囲み、料理に舌鼓を打ったのはいつのことだったか。ずいぶん昔の出来事だったようにも思えるし、あるいは自分の幻想のような気もする。

 午後八時過ぎに父親の富秋が帰ってきた。富秋もまた、帰宅して着替えを済ませるとベッドの瑞穂の顔を拝むのが日課になっている。

「頼まれたもの、置いておくぞ」

 富秋はベッドの枕元に紙包みを置くと、亜以子とともに部屋を出た。富秋が在宅して具体的に亜以子の仕事量が軽減されるというものではないが、少なくとも精神的な余裕が生まれる。一人で背負い込むよりは二人で背負い込む方が楽に決まっている。二人よりは三人、三人よりは四人。それでも足りなければ公的機関を頼る。ただしALSに関しては高額医療という事情もあり、まだまだ公的な支援は不充分だった。

(つづく)

【連載】ドクター・デスの再臨

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