“名門小学校”から渋幕に進んだ秀才・田中圭が東大受験をしなかったワケ 教育熱心な母の影響
小学生時代はバスケットボールに熱中。クラブチームに入り、全国大会にも出場した。高学年になると、多忙の日々を送ることになる。バスケットを続けながら、母に勧められるままに受験勉強も始めたからだ。8時間近く机に向かう日もめずらしくなかった。97年、渋幕中学に合格した。「年間の東大合格者数はまだ1桁でしたが、有名大学にコンスタントに入るようになり、注目を集めていた」と塾講師は振り返る。当時を知る元教員は次のように話す。
「渋幕を率いる田村先生はどうすれば優秀な生徒を集められるかを熟知していた。東大への合格の道筋を見せるのが一番の宣伝になる。すぐにトップ10入りは無理でも、合格者数を徐々に増やしていくことで信頼を勝ち取っていったんです」
渋幕に入学した田中も当初、東大を意識していたようだ。「バラエティー番組で『東大を目指していた』と本人の口から明かされた」と芸能記者。しかし、そのプランはすぐに崩れる。成績がさっぱり上がらなかったのだ。「合格して燃え尽き症候群のようになり、勉強する気が起こらなくなってしまう子どもは少なくない」(塾講師)という。学校ではバスケットボール部に入ったが、中学3年の時、靱帯を痛め、続けられなくなった。