(10)安西マリアと事務所社長の離婚で決定的になった“独立劇”

所属事務所と親が揉めて、芸能活動がストップする──。昭和から平成にかけて、時折起こるトラブルに立花理佐は巻き込まれていた。昭和天皇の病状が悪化していた1988年の大晦日、事務所のマネジャーに東京駅に連れて行かれ、大阪に帰省した。同じ日、雑誌「女性自身」のインタビューに答えている…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,070文字/全文1,211文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】