萩本欽一がノーギャラでもテレビをやりたかった理由…“欽ちゃん”に再び光を
ところが、TBSワイドショーだけがそのまま放送してしまったのだ。当時の欽ちゃんはチャリティー番組の司会も担当しており、「いい人キャラ」でいなくてはならない。だからこそコント55号時代のような“毒舌”をまじえた笑いを封印していたし、「テレビでは無理」とクギを刺したのだが、それを無視され怒ってしまった。それまでもメディア取材はほとんど受けなかったが、以降はまったく受け付けなくなってしまったのだ。
僕は後年、70歳近い欽ちゃんと関西の番組でご一緒したことがある。一切取材を受けなかった欽ちゃんも、その頃はインタビューで私生活を語る場面も増えていた。ちょうど欽ちゃんの隣に座らせてもらったので、収録前にご挨拶した上で、「24時間テレビ」がスタートした時のエピソードを紹介させてもらった。当時、新聞記者だった自分は欽ちゃんに密着していたのだが、スタジオとスタジオの移動中、(スタッフ用の)布団部屋の横を通りかかるとそのまま布団に体を突っ込んで寝息を立てていた。しかし、2、3分で起き上がって仕事を続けていた。欽ちゃんは「そういうこともあったかなあ。よく覚えていたね」と笑ってくれた。やはり「いい人」に変わりはなかった。
新番組のコンセプトは〈誰かをほめたり、ほめられたりする新しいテレビ〉だという。彼は自分でつくり出した“欽ちゃん”という架空のキャラにテレビの世界でもう一度、脚光を浴びさせてあげたいのだろう。いい人キャラで再びテレビに新しい風を吹かせてほしい。