三笠宮家「分裂」と前例なき「新宮家」創設のドロドロ
麻生の妹・信子は、上皇(明仁)のいとこである三笠宮寬仁親王(2012年に薨去<こうきょ>)の妃。子どもは彬子(あきこ)と瑶子。
寛仁親王の生前から信子との夫婦仲が“剣呑”だったことはつとに有名で、夫が亡くなる前から別居していた。だが、そんな母親が彬子には許せなかったようで、「信子さまは病院に足を運んでも、彬子さまらの意向で最後まで寛仁さまと面会させてもらえなかった」(週刊文春10月9日号)そうだ。
しかし、「寛仁親王家」の次期当主を決める必要が出てきた。親王妃である信子が継ぐのが慣例だが、寛仁親王の母親・百合子は彬子を推挙したため、信子との話し合いがまとまらなかった。だが、その百合子も昨年薨去。
宮家の当主選びについては皇室典範に定めがなく、信子と彬子との話し合いは事実上不可能。宮内庁は悩んだ末に、「すでに当主のような役割を果たされている」(文春)彬子を当主にすることを決めた。だが、信子の処遇に困り果てた。そこで持ち出したのが「三笠宮家から独立して新しい宮家を創設する」という案。皇族費も倍増すると囁いたという。信子は「三笠宮寛仁親王妃家」を名乗ることになった。