「巨人にコンプレックスがあったんだ」 日本シリーズで米田哲也、梶本隆夫らが通用しなかった理由
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
◇ ◇ ◇
1969年の日本シリーズ、3年連続で巨人との対戦。阪急・西本幸雄監督は、このシリーズ、米田哲也投手を先発の柱から外した。シーズン終盤の登板過多で肘痛があったことに加え、過去2度のシリーズで巨人に通用しなかったからだ。米田・梶本隆夫・足立光宏・石井茂雄の4本柱のうち、かろうじて巨人に対抗できたのは足立だけだった。
米田の代わりにシリーズの先発の柱となった宮本幸信が回想する。
「足立さんは反骨精神でのし上がって来た人だからね。巨人に対しても怯むことはなかった。ところが、米田さんや梶本さんは入団以来順調に勝ってきた人。特にベテランの人には巨人コンプレックスがあった。勝てるものじゃないという先入観があったんだよ。それにシリーズの大観衆。日頃観客がガラガラのスタンドでやってきた人たちだから、平常心のピッチングができない、という側面もあったかな」


















