「釣り侍」佐藤賢一氏

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「釣り侍」佐藤賢一氏

 大泉藩の勘定目付・前原又左衛門が、夜半に釣りに行く準備をする場面から物語は始まる。世の中から戦がなくなって100年あまり、大泉藩では武士の鍛錬として磯釣りが奨励されていた。夜の山道を抜ける日帰りでの強行軍のため、決して遊びではない。又左衛門は、幼い頃からの釣り仲間で藩の郡奉行を務める山上藤兵衛と合流し、目的地へと向かうのだが……。

「出身地の鶴岡は、誰もが釣りをする土地柄です。それが当たり前ではないことに気づき、なぜ鶴岡で釣りが普及したのかを調べたら、江戸時代の荘内藩で武士の鍛錬の一助として釣りを奨励して、それが庶民に広がったことがわかりました。藤沢周平さんのような時代小説を書いてみたいと思っていたこともあり、これをヒントに釣りをする侍の話を書きました」

 平時の侍の平穏な物語かと思いきや、主人公が釣った魚を馴染みの店に持ち込んで作ってもらった料理に舌鼓を打っていたところに、ある事故の報が来たことで話が急展開する。現場にいたことで、藩主の跡目争いに巻き込まれていくのだ。

 本書は、仕事より釣りが大好きな又左衛門が、お家騒動に巻き込まれ、跡目争いの勝負の行方を握るキーパーソンになる異色の時代小説。跡目争いを主軸に、臨場感のある釣りのエピソードや、ワッパ煮やだだちゃ豆ご飯などの郷土食を味わう場面も盛り込まれ、人生の滋味がにじみ出る豊かな物語となっている。

「釣りだけでは小説にならないので、藩主の跡目争いに釣りが関わる話にしました。さまざまな魚が出てきますが、みな僕自身が地元で釣りあげたことがある魚です。唯一、本書に登場する滝太郎という魚は釣ったことがないですが、この手の幻の魚を釣ることは子ども時代の憧れでした。日常にあった釣りや、地元のごく普通の食事が改めて貴重なものだと再発見でき、書いていて楽しかった」

 さらに本書を特徴づけるのが、登場人物が話す方言だ。モデルとなった荘内藩で話される東北弁が、一層キャラクターを際立たせている。待ち合わせ場所で又左衛門が相方を見つけて「よ」と声を出し、藤兵衛が「ん」と答えるシーンなどは、寒さの厳しい東北ならではの挨拶が目に浮かぶ。

「セリフの中に方言を出すのは、自分にとって挑戦でした。たとえば幕末物なら薩長弁が出てくるだけで幕末維新は、中央ではなく地方の武骨な男がやったことが言葉だけでわかる。方言を使うことで一瞬にしてイメージがわきますからね」

 加えて出世欲のない主人公の本音を見透かして尻をたたいてくる妻とのやりとりや娘の結婚話、望まぬ派閥間の対立など、時代を超えて思わず共感してしまいそうなエピソードも満載。殺伐とした定番の跡目争いとは少し毛色が違うのだ。

「主人公は、適齢期の娘と成人前の息子を持つ父親でもあり、出世欲がなくてもまだ武士の仕事の大変さからは引退できない男ですが、釣りがあることでどこか救われている。読者の方も、特に組織にいれば主人公と同様に大変な時を過ごしているかもしれません。そんな時こそ、本書を通して人生の豊かさを思い出してもらえたら」

 ちなみに、小説新潮4月号で本作の続編も始まった。その後の又左衛門が気になる人は、併せて読んでみてはいかが。

 (新潮社 1870円)

▽佐藤賢一(さとう・けんいち)1968年山形県鶴岡市生まれ。93年「ジャガーになった男」で第6回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。99年「王妃の離婚」で第121回直木賞受賞。ほかにも「小説フランス革命」「ナポレオン」「チャンバラ」など著書多数。

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