“給料制”のホリプロで和田アキ子が後輩の山口百恵に年収でダブルスコアの差をつけられたワケ
“百恵バブル”の恩恵で和田も年収アップ
アッコ、百恵、昌子は同じホリプロで給料制のはずなのに、なぜ入社年次の最も遅い百恵が2人を上回ったのか。
「おそらく歌唱印税は、通常の給料と別に振り込まれていたのでしょう。この年、アッコさんは2枚、昌子さんは4枚シングルを出していますが、ヒットしていません。百恵さんは『初恋草紙』が24万枚を超え、『夢先案内人』『イミテーション・ゴールド』『秋桜』がいずれも45万枚以上と大ヒットしました」
翌78年もアッコの2668万円に対し、百恵は4016万円で歌手部門の10位に入った。79年はアッコの2910万円に対し、百恵は5520万円で歌手部門の9位にランクイン。倍近い所得差があった。
「後輩に抜かれて、複雑な思いもあったかもしれない。ただ、百恵さんの活躍によって、給料アップの恩恵を受けたと考えられます。アッコさんは78年に『金曜10時! うわさのチャンネル!!』を降板し、2年間日本テレビに出入り禁止になった。この頃、歌手活動に専念するため、他のバラエティにも基本的に出ていない。かといって、歌がヒットしたわけでもない。なのに、78年2688万円、79年2910万円、80年3800万円と一気に増えていきます。『百恵バブル』でホリプロの景気が良くなったからでしょう。ボーナスがかなり増額したのかもしれません」
和田の芸能人生を俯瞰すれば、歩合制のほうが稼げたかもしれないが、給料制の恩恵を受けた時代もあったようだ。
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