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雲仙・普賢岳で指揮 元島原市長・鐘ケ江管一氏に聞く「噴火」

 戦後最悪の御嶽山の噴火災害の記事を読むたび、思い出す人がいる。1991年6月の大火砕流や土石流で43人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳の噴火の際、災害復旧の最前線で陣頭指揮した当時の島原市長、鐘ケ江管一さん(83)だ。今、“ヒゲの市長”が思うことは――。

「紅葉シーズンの土曜日、さらに昼食時で登山客が最も頂上付近に集まりやすい時間帯の噴火という不幸な原因が重なりました。しかし、2週間前から急に火山性地震が頻発してたんですから、『火口周辺規制』の警戒レベル2が発令されてたら、恐らく死傷者は1人も出なかったでしょう」

 長崎県は島原港フェリーターミナルに近い自宅で会った鐘ケ江元市長、こう言って顔を曇らせた。

「確かに噴火は現代科学の最先端知識をもってしても、予知は難しいと思います。ただ、警戒を呼びかける情報提供は早め早めの周知徹底が大原則。仮に実際に被害が出なかったにしても、現場の人たちは“空振りだった”と非難してはいけません。“今回は運が良かった”と次回に備えるべきなんです。研究者や情報提供を判断する人が萎縮して、後手後手の対応になってしまう。それが大惨事の引き金になります」

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