津野田興一
著者のコラム一覧
津野田興一都立日比谷高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立日比谷高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

印刷技術がたきつけたカトリックとプロテスタント宗教戦争

公開日: 更新日:

 ここに一枚の絵があります。今からちょうど500年前のある出来事を示しているものなのですが、いったい何が描かれているのでしょうか? この絵の読み解きを試みてみましょう。

 ◇  ◇  ◇

■手がかり①

 これは、1521年の春、スイスの印刷工房から出版された「神の水車」と呼ばれるパンフレットに掲載されていたものです。そこには次のような説明書きがありました(資料①)。

 どうやら左上の神々しい光を地上に降り注いでいるのが神のようです。それによって水車が回りだし、神の言葉をイエスが粉ひき機に入れています。イエスは預言者として神の言葉を人々に伝えました。その言葉を福音書の作家である、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人が記録しました。絵の中ではそれぞれ、人、ライオン、牡牛、ワシの姿で表されています。

 そこから新約聖書ができるわけですが、ルネサンス時代に活躍したネーデルラントのエラスムスが、粉ひき機から粉を集めています。これはエラスムスがギリシャ語の新約聖書を研究したことを意味しています。当時のキリスト教会において、聖書はギリシャ語からラテン語に翻訳されており、そのラテン語聖書こそが正しいものとされていました。しかしエラスムスは、翻訳される前のギリシャ語聖書を研究して、「より正しい教え」を拾い上げたということになります。

■資料①

 神の製粉水車の記述。水車は神の恩寵によって動かされ、すべての製粉職人のなかでもっとも高名な者ロッテルダムのエラスムスによって神の粉はかき集められ、忠実なパン職人マルティン=ルターによってパンに焼きあげられ、力強いカルストハンスによって見守られたことが、ふたりのスイス人農民によってもっとも巧みにえがかれた。それは素朴で平和な国民(とよばれるかれら)にしてはじめて可能なことであった。

(森田安一著 歴史のフロンティア「ルターの首引き猫 木版画で読む宗教改革」山川出版社から)

■手がかり②

 その粉を桶でこねているのはルターです。実は桶に「ルター」と書かれていました。ルターがパンを作ったというのはもちろん比喩で、キリスト教におけるパンとはイエスの肉体を示すシンボルになります。これは、ルターが「正しい」教えの聖書をドイツ語訳したことを示しているのです。そしてそれはドイツの農民を意味するカルストハンスによって見守られ(受け入れられ)たと書かれています。

 もう少し補足しましょう。ルターによってドイツ語に翻訳された「正しい」聖書は、スイスのツヴィングリによって右の人物たちに手渡しされますが、受け取りを拒否されて地面に落ちてしまいます。実は右の人物のうち、三重の冠をかぶっているのがローマ教皇なのです。

 さあ、これで分かりましたね。この絵は、ルターらによる宗教改革を肯定するために描かれたものなのです。ご丁寧なことにローマ教皇の上には怪しい姿の鳥が、「バン! バン!(破門! 破門!)」と鳴いています。皮肉を込めているわけですね。これは当時の文字を読むことのできない人たちにも、絵を見ることで宗教改革の内容を理解させることのできる秀逸なパンフレットなのでした。

■メディア革命

 カトリック教会やローマ教皇にたてついたルターらのプロテスタントが生きのびることができたのは、当時の「メディア革命」があったといわれます。それはつまり、15世紀半ば、ドイツのグーテンベルクによる活版印刷術の発明、というものでした。

 早く、安く、大量にパンフレットやこのような絵を出版して宣伝することが可能となったことで、プロテスタントの教えを広めることができたといわれています。

■プロパガンダ合戦

 もちろんカトリックの側も負けてはいません。これまた文字の読めない人々にも、ルターがいかがわしい存在であることを理解できるようにする風刺画が描かれていました。プロテスタントもカトリックも相手の主張を認めてしまえば、自分を否定することになってしまうため、互いに妥協をすることはありえず、とうとう宗教戦争にまで発展してしまいます。

■新教と旧教ということ

 ところで、プロテスタントのことを新教、カトリックのことを旧教と呼んだりしますが、この呼称はプロテスタントの立場からのものなので、私はできるだけ使わないようにしています。つまり、カトリック=古くて誤っている、プロテスタント=新しくて正しい、というニュアンスを、どうしても含んでしまうものだからです。

 実はカトリックの側も、ルターらによる批判を受けて、改革を進めていきました。1545~63年にかけて開催されたトリエント公会議が代表的です。一般に対抗宗教改革と呼ばれるこの動きにより、カトリックの教義が再確立し、カトリック教会はローマ教皇のもと、体制の立て直しに成功するのです。

■影響は?

 ルターらによる一連の宗教改革と、カトリック教会による対抗宗教改革の結果、次のような影響が生じたと考えられます。

 ①プロテスタントが成立したことで、ヨーロッパは東方の正教圏を加えた3つのキリスト教世界に分裂した、②宗教戦争を経る中で宗教よりも国家の役割が強まり、近世社会が形成されていった、③カトリックによる対抗宗教改革の中でイエズス会が結成され、ヨーロッパで失った勢力圏を穴埋めするかのように、カトリックの世界布教を推進した。

 第4回の連載でとりあげたフランシスコ=ザビエルの日本布教は、まさにその一環であったということになります。また、ラテンアメリカへのカトリック布教は大成功をおさめ、現在のローマ教皇はラテンアメリカの出身です。

④対抗宗教改革の中で生まれたグレゴリウス暦は、カトリックのローマ教皇によって制定されたため、プロテスタント地域はこれを忌避して、導入が遅れることになります。その意味において近世という時代は、まだ宗教の役割や影響が大きかったと言わざるを得ないのです。

■もっと知りたいあなたへ

世界史リブレット27 宗教改革とその時代
小泉徹著(山川出版社 1996年)729円(税別)

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