失業悪化と政治無策が生んだ ナチ党躍進とヒトラーの独裁
ユダヤ人に対するホロコーストと呼ばれる大虐殺など極端な人種主義を唱え、第2次世界大戦を引き起こしたヒトラーとナチ党。当時のドイツの国民はなぜ、そのような政策を支持したのでしょうか? 今回はヒトラー政権誕生の背景を考えてみましょう。
■国民社会主義とドイツ労働者党
国民社会主義ドイツ労働者党(以下、ナチ党と略称)は、第1次世界大戦の連合国とドイツの間で結ばれたベルサイユ条約の打破を叫ぶ政党でした。しかし、表①をご覧になればお分かりの通り、当初は「泡沫政党」に過ぎなかったのです。暴力的で人種差別的な主張が過激すぎて、幅広い国民の支持を得られなかったからでしょう。しかし、社会情勢の変化がナチ党の背中を押します。
■世界恐慌
1929年に始まった世界恐慌は、もともと脆弱であったドイツ経済を直撃します。失業率は14%を数え、32年には30%にもなりました。多くの国民が困窮します。再び表①を見てください。1930年の選挙でナチ党が大躍進を果たしていることが分かります。
いっぽう、第1次世界大戦後にドイツ革命を経て成立したバイマル共和国のすべての時期を通じ、政府は複数の政党による連立であり、強力なリーダーシップを発揮することができていませんでした。選挙制度が完全な比例代表制であり、死票が少なくなるかわりに議席が分散してしまい、単独過半数をとる政党が現れませんでした。
左のグラフを見ていただくとお分かりの通り、国会の会期日数も減少し、成立させた立法数が激減しています。世界恐慌という未曽有の惨禍の中で、政治が重要な役割を果たさなくてはいけないのに、有効な手を打つことができないままでした。
■大統領緊急令
グラフでは大統領緊急令の数が急増しているのも読み取れます。これは国会などが機能不全に陥った場合の、まさに緊急措置であり、大統領が立法措置を講ずることができるというものでした。でも待ってください、国会が決められないからといって、大統領の「鶴の一声」で政治をおこなってしまったら、国会の存在意義はあるのでしょうか?実は、バイマル共和国における民主政治は、ナチ党が破壊する前に「空洞化」が進んでおり、国民の失望を買っていたのです。
■2つの選挙
では三たび表①を見てもらいましょう。1932年7月の選挙です。ここでとうとうナチ党が第1党に躍り出ます。ただよく見ると、まだ過半数の議席には届いていません。これでは、従来の弱小な連立政権になってしまいそうです。そこで同年11月にもう一度、国政選挙をおこないました。文字通り、政権をナチ党に委ねてもらうための信任投票だったのです。結果はどうなったでしょうか?
予想に反してナチ党の議席減、および中道政党も議席を減らしてしまいました。ただひとつ議席を増大させたのは共産党でした。これに危機感を覚えたのが、地主、資本家、軍部という保守的な勢力でした。共産党の勢力拡大を恐れる彼らは、大統領のヒンデンブルクにナチ党のヒトラーを首相に任命するよう迫りました。そうです、大統領緊急令の発動です。1933年1月、ヒトラー内閣が誕生しました。
■一党独裁
政権をとったヒトラーが真っ先におこなったことはなんでしょうか? 国会議事堂放火事件を共産党の仕業であると断定して非合法化したのです。政治上の最大のライバルを消したのでした。猛烈なキャンペーンと突撃隊などナチ党の軍事組織を動員しての選挙を3月5日におこない、そのうえで3月24日、政府に立法権を与えるという全権委任法を国会で通過させました。
三権分立を破壊するこの法律に反対する議員も多かったのですが、ヒトラーは突撃隊に国会を包囲させるなど、議員に対する威嚇をおこない、ナチ党が法律をつくり、それをナチ党が実行するという大権を手に入れたのです。全権委任法制定後に、ナチ党以外の政党を禁止したのは言うまでもありません。かくして、一党独裁が完成します。
■支えるものと 排除されるもの
このように、ヒトラーの政権掌握には、法律にのっとった部分と、非合法的な部分の両側面があるのですが、国民の目線について最後に確認してみましょう。
資料①は高校生くらいの女性でしょうか。「民族共同体」というナチ党が掲げた理想に熱い期待を寄せていることが分かります。60~80代が多い既存の政治家に対して、ヒトラーは40代と若く、理想国家の実現に向けて変革を進めてくれそうだ、というマシュマンさんの期待する背景が読み取れます。
では、資料②はいかがでしょう。こちらは20代くらいの女性でしょうか? 資料①とは真逆の受け止め方をしていますね。ナートルフさんはユダヤ人ですが、彼女たちはナチ党の言う「民族共同体」には含まれないようです。しかも密告によって家宅捜査や逮捕されるという、恐怖と隣り合わせの生活を強いられています。
■知的・誠実・ナチス的
ドイツの哲学者のヤスパースが引用したとされる次のような言葉があります(資料③)。誠実さや知を犠牲にしてしまうことで、ナチス的な社会をつくってしまうことの警句となっているわけですが、残念なことに、現代世界においても有効な分析であると考えるのは私だけでしょうか。
■資料①M・マシュマン「結末」(1933年1月30日)
1933年1月30日、我が家のお針子は今、女中が調理台で食事をしなくてもよい時代がはじまると言いました。母は常に使用人たちを模範的に遇してはいましたが、母にとって、使用人と食事を一緒にするなどということは馬鹿げたことでした。
民族共同体というスローガンほど私を魅了したものはありませんでした。……私をこの空想的な理想像に結びつけたものは、あらゆる階層の人間がお互いに力を合わせて、兄弟のように生きるような状態になるだろうとの希望でした。 (歴史学研究会編「世界史史料10 二〇世紀の世界I」岩波書店から)
■資料②「ナートルフの日記」(1934年10月11日)
いたるところで家宅捜査、逮捕。ユダヤ人組織はもはや、なすすべを知らない。ある同僚の女性が朝早く、ふるえながら真青な顔をしてやってきた。朝4時ごろ、彼らは就寝中の彼女を起こし、徹底的に家宅捜査した。彼女が共産主義の宣伝をしているということで! ……卑劣な悪意にみちた密告。 (歴史学研究会編「世界史史料10 二〇世紀の世界I」岩波書店から)
■資料③
知的である、誠実である、ナチス的である、という3つの性質があります。そのうち常に2つだけが一緒になれて、3つとも一緒ということは決してありません。知的で誠実であれば、ナチス的でない。知的でナチス的であれば、誠実でない。誠実でナチス的であれば、知的でなく脳が弱いと言うわけです。
■もっと知りたいあなたへ
「ワイマル共和国ヒトラーを出現させたもの」
林健太郎著(中公新書 1963年)760円(税別)