革命はやがて戦争へ…西アジア「激動の1979年」を振り返る
世界の歴史の中で、ある特定の年に重要な出来事が集中して起こる、という場合があります。
1979年がそのひとつだと考えられるのですが、いったいどのようなことが起こったのでしょうか?
衝撃的で決定的な影響を持つ出来事を、西アジアにフォーカスして振り返ってみましょう。
1月 イラン革命
イランではパフレヴィー2世による権威主義体制が続いており、民主化を求める反政府派を、秘密警察などが弾圧していました。当時、国王政府は「白色革命」と呼ばれる近代化を進めていましたが、それは「アメリカ化」ともいえるもので、風俗業などイスラームの伝統に反する文化の流入は国民の反発を呼んでいました。
前年からの大規模な反政府運動は国王の亡命につながり、パフレヴィー朝が倒れますが、2月に帰国したホメイニー師を中心とした革命政権によってイラン=イスラーム共和国の成立が宣言されます。議会制民主主義は存続しましたが、議会や政府をホメイニー師らイスラーム法学者(ウラマー)が指導する、という独特の政治が生まれたのです。またこの政権は、反米反共を標榜して、米ソ2大超大国を敵に回しました。
また、11月には急進的な学生たちにより、テヘランのアメリカ大使館員人質事件が起こり、アメリカとイランとの関係は断絶しました。この状態は現在まで続いています。
3月 エジプト=イスラエル平和条約調印
中東戦争で何度も殺し合ってきたエジプトとイスラエルが電撃的に和解しました。1978年、アメリカのカーター大統領が仲介者となってキャンプデービッド合意が成立し、79年に平和条約が調印されたのです。
エジプトのサダト大統領にとっては、第3次中東戦争で失ったシナイ半島の返還を、イスラエルのベギン首相にとっては、周囲をすべて敵に囲まれている中で、そのリーダーであるエジプトと平和条約を結ぶことによる安全保障の確保を意味していました。
しかし他のアラブ諸国にとってみれば、エジプトは「裏切り者」となったわけで、「反イスラエル」で利害が一致していたアラブの連帯が崩壊することになり、現在に続く中東情勢の混迷と、パレスチナ問題のさらなる複雑化の始まりともなりました。イスラエル側から見るならば、今年(2020年)のアラブ首長国連邦との国交樹立などの外交攻勢のスタートが、この平和条約締結であったと理解できます。
なお、エジプト国内でもイスラエルとの平和条約締結に反発する声は強く、サダト大統領は1981年に暗殺されてしまいます。
7月 サダム=フセイン政権誕生
アラブ民族主義を掲げるバース党のリーダーとして、サダム=フセインがイラクの大統領に就任します。アラブ諸国のリーダーであったエジプトが「裏切り者」となる中で、地域大国を目指すサダム=フセインは新たなアラブのリーダーになる野心を抱きます。
アラブ人でスンナ派である自己の立ち位置を強調しながら、イラン人でシーア派であるイラン革命の波及を抑えるためと称して、1980年にイラン=イラク戦争を始めます。これに対してアメリカは、パレスチナ問題で西アジアでの支持がもともと少なく、拠点を置いていたイランが反米の宗教政権となってしまったため、サダム=フセインを利用して影響力の拡大を図ろうと、イラクに対する軍事支援を行います。
これによりサダム=フセイン政権は国内基盤を固めると同時に、西アジア最大の軍事大国へと成長するのです。しかし、イラン=イラク戦争は1988年まで足かけ9年間も続いてしまい、イラクの財政難を引き起こし、サダム=フセインによるクウェート侵攻を招きました。
■11月 カーバ占拠
日本ではほとんど知られていませんが、イスラーム世界に衝撃を与えた事件です。イスラーム主義に基づきマフディー(救世主)と称した人物によって率いられた勢力が、イスラームの聖地であるメッカのカーバを占領するという事件が起こりました。
多くの犠牲者を出して鎮圧されましたが、以後サウジアラビアが、宗教的規範を重視する方向へ転ずるきっかけとなりました。
12月 ソ連のアフガン侵攻
最後はソ連との関係です。多民族国家であるソ連は、中央アジアにトルコ系などのイスラーム教徒を多く抱えていました。イラン革命の影響がアフガニスタンの社会主義政権を揺るがしているとみたソ連は、国内でのイスラームの目覚めを予防するために、アフガニスタンに出兵します。
ソ連軍は強力でしたが、アフガニスタンは急峻な山岳地帯です。多様な山岳民族がソ連に対するゲリラ戦を展開して悩ませました。さらに、イスラーム教徒の同胞を守るため、ムジャヒディーンと呼ばれる信仰心のあつい兵士たちが西アジアや南アジアから集まりました。彼らに武器や資金を提供したのがアメリカです。当時は東西冷戦の真っただ中だったので、ソ連の力をそぎ落とすため、アメリカはCIAを通じて裏工作を進めるなど、手段を選ばなかったのです。
10年にも及ぶアフガン侵攻はソ連経済と国家財政を疲弊させ、ゴルバチョフ大統領に改革を余儀なくさせました。また、アメリカの援助を受けて戦闘能力を高めたムジャヒディーンの中から、ウサマ=ビンラーディンが登場します。この話はまた別の機会にやりましょう。
■現在の始まり
この年は他にも、中越戦争、スリーマイル島原子力発電所事故、サッチャー政権の誕生など、それぞれ重要な出来事がありましたが、それもまた別の機会に紹介します。
これまで振り返ってきた通り、1979年に西アジアを中心とした世界は大きく動き、それはまさに現在の出発点にあたる、と考えられるのです。この連載を読んでくださっている皆さんは、その時、何歳だったでしょうか?
■もっと知りたいあなたへ
「ビジュアル版 イスラーム歴史物語」後藤明著
(講談社、2001年)2800円(税別)